NPO法人を辞めて2ヵ月が経とうとしていますが、染みついたもの(考え方・捉え方)というのはなかなか手放せずにいます。
というのも、先日ある人から話を聞いていて「あれ?」と違和感を覚えたことがあって。
その人がいう「キョウドウ」という言葉が「共同」なのか、「協同」?それとも「協働」なのか、すぐには理解できなくて。
この言葉、NPO法人に限らず耳にする言葉なのですが、この使い分けが難しい。
その人がいうキョウドウというのは、漢字にするとどれですか?とつい聞いてしまったのです。するとその人は「協力して働くの協働だ」と言う。
でも。その人が話している内容はわたしの感覚からすると「協同」と受け取れた。
協働っていう言葉はここ10年ほどの間に使われるようになった言葉。
協働というのは、わたしの理解だとその人がいうとおり、協力して働くなのだけれど…。
ちなみに協同というのは、力や心を合わせて事にあたる、共同というのは一緒に事にあたる、同等に関わるという意味らしい。
これにわたしなりの解釈を付け加えると、思いをもって人が集まり、役割を与えられる感じが協同。役割が与えられる時点でそこに責任の所在が出てくる感じ。
で、思いをもって人が集まるときに「できること」を持ち寄る、責任はすべての人にある状態が協働、なんじゃないかと。
役割を与えられて初めて動く、というのではなく、課題なのかなんなのかはいろいろだけれど、それをどうにかしようと集まって、お互いのスキルを明確にしてそれでできることをやる、というのが協働なんじゃないのかなと。
イメージとして、もうひとつ付け加えるとしたら、高齢者に対する課題を話し合おうとするとき、たいてい声がかかるのは高齢者に関わる人たち、なわけですが、これは高齢者という共通したものがある人だけが集められる。
が、協働という言葉を使うのであれば、高齢者という共通概念が無い人たちにも声をかけて、課題を話し合うことからスタートしてもいいのではないかと。
どんな人であれいつかは老いを迎えるわけだし、いつか通る道だし。
専門的知識がある、経験がある人たちの意見は尊重したほうがいい。けれど、そうじゃない人たちもいつかは老いというものを迎えるのだから、いま置かれている環境で思うことを聞いてみてもいいのではないかと。
子育てというものに対してもそう。現時点で子育てをしている人、もしくは子育て・育児中の人たちに関わる人たちだけで話し合うのではなくて、そこに直接的には関係していない人から見た子育てというものに対する考え方や思いを知ってみるのもいいんじゃないかと。
そういう考え方・見え方・感じ方が違う人たちの視点を知ると、当たり前が当たり前じゃないということに気付けるんじゃないかと。
そうなると、話し合いを円滑に進めるコーディネーターというのか、ファシリテーションっていう技術が必要になるなぁと。
もう数年前になるけれど、ファシリテーションというものを体験する講座があって受講したことがあるのですが、ファシリテーションという技術は市民活動には必要やなぁと思った。
本来、「協働」という言葉が持つ動き方ができるような動きができるといいなと思う。