シャープは大阪府堺市にある子会社で生産していたテレビ向けの液晶パネルを9月末までに停止する。液晶事業からの遅すぎた撤退である。「世界の亀山モデル」と謳い一世を風靡してから約20年での崩壊である。

 

勝ち組であったシャープ液晶事業の終わりは2000年代から始まった。2000年代に入り製造装置が標準化され、それを購入さえすればどのような企業でも液晶を生産できるようになった結果、韓国メーカーに続き台湾メーカーが参入。その後、中国メーカーが勢力を拡大し価格は下がり続け、液晶事業は儲からない事業へと変わっていった。

 

しかし、シャープは液晶テレビの大成功という果実を手にし、同事業はまだまだいける、いや、まだまだ拡大していかないといけないと判断し、設備投資を拡大していった。結果シャープの経営は健全な多角化へと向かわず、ビッグビジネスの液晶へ偏重してしまった。

 

追い打ちをかけたのが、2008年秋のリーマンショックである。先進国だけでなく急拡大していた新興国市場でもテレビの伸びが鈍化。60インチ以上の大型テレビが普及すると見て、2009年10月に、大画面テレビ向けの大型液晶を生産するため、4200億円もの巨費を投じた設備投資は無用の長物になってしまった。

 

さらに地デジ移行とアナログ放送の廃止(2011年)により、一時的な買い替え需要が発生したものの、その後長期にわたりデレビの国内需要が大幅に減少したことも大きなダメージを与えた。

 

また、有機ELの能力向上により、液晶のシェアーが奪われ液晶事業はもはや収益産業としては成り立たなくなった。

 

結局のところムシャープの失敗は過去の成功に惑わされ、製造環境の変化や新技術の動向を考慮せず過去の方針を踏襲し資源を液晶事業に集中し続けたことにある。

 

常に周辺技術や環境変化に目を配り機動的な経営をしていかないと企業が失敗するという典型的な事例である。

 

メモリー中心の半導体事業でもそうだったが、日本企業は過去の成功事例や前例に囚われ新しい環境変化への適応が遅れ失敗するケースが目立つ。