諦めたときだけ指す光 | 体の総合ケア グリーンバランスのブログ

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今までの人生を振り返った時にいつもこういった瞬間に遭遇する。

諦めたと言っても実際には諦めていないのですが、

その時その瞬間は確かに諦めたと自覚するのです。

もうこれ以上は進めないとはっきりと自覚するのです。

その時の心境を説明すると夕暮れ時の黄昏時(たそがれどき)に似ている感じがします。

今どちらに向かって歩いているのか、今どこにいるのか、目の錯覚で方向感が分からなくなった状態で、

今まで目印にして歩いていたものが突然消えてしまったような現象で、

でもしばらくすると、今まであった場所とは違う場所に、それに代わるような目印が浮上してくる。

今度はその目印を基準にしながら歩き始めるといったように、

諦めたときにその都度目印が変わって、新たな景色や見え方が変わってきて、

次へのステップとなるのを経験します。

しかし視点が変わることで見え方が変わって新たな気づきを与えてくれるといった点ではとても大切なのですが、

でも最近気がついたことがあります。

本当は諦めた時に指す光とは、黄昏時のような何もわからなくなった状態なのではないかと考えるようになりました。

要するに方向感を失った時にこそ重要なのではないか、そのように考えるようになりました。

それが「決めない」ことではないかと感じています。

何も分からないから、決められないし、目印が無くなってしまったからこそ、

目をつぶって、その時の風が吹く方向に進むことが大切なのだと感じるようになりました。

人は目印やら支柱となってくれる軸のようなものを探そうとします。

それは不安だからだということは今は分かります。

不安だから安心するための何か支えのような目印や人や何かをやり続けることで今の自分が立っている場所を確認しようとするのだと気がつきました。

そうではなくて、黄昏時のような支柱もなく錯覚によって昼なのか夜なのか、今下ってるのか上っているのかも分からなくなった瞬間が、

決めないということの大切さを、現象によって伝えているのではないだろうかと、感じるようになりました。

経験や知識といった思考は、人を平均的にし、共通という枠にはまって行く手助けとなります。

それはかえって迷ったり不安にさせてしまう要素にもなりかねないとも感じます。

先ばかりを予測して自分に保険をかけてばかりの行動では、かえってスケールを小さくしてしまうように感じて来たのです。

自然を敬うことは、思考を優先させている時点でそれは自然を敬っていることではなく、ただの自惚れの行動に過ぎない。

本気で自然を敬うということは決めないこと、流れに従うことではないかということに気がつきました。

最後に一言。

黄昏時とかたわれ時、晴れた日は一日二度、昼と夜と夜と昼の境目を眺めることができます。

それは一日二度晴れた時だけそっと見せてくれる大切な注意喚起のメッセージだったのだと感じています。

その両方(黄昏時、かたわれ時)もしくは片方だけでも見れるような時間の余裕と時間の使い方をしなくてはと感じています。

多分、それが見れるような生き方ができれば、きっと幸せになれると思っています。

明日は晴れるといいな。

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