もしかしたら精神を病んで(鬱などの症状だけではなく感情の起伏の激しさ怒りやイライラなども含め精神全般の平常ではいられない乱れも含みます)しまう人ほど、
生きる意味や意義を大切にして生きてしまっているのではないだろうか。
商売は人に尽くせば商売が成り立つのに対して、
幸せに生きるためには、自然を敬い続ければ成立する。
全ての仕事は人のためにするもので、自然を敬う行為とは真逆の性質となるが故に、
別で自然を敬う行為なり、破壊しない行動や生活、自然を守る活動などをしなくては、
人は、気持ちのバランスを保つことはなかなか難しいのではないだろうか。
生きる意味や意義を考えることは、自惚れの表れで、精神に異常が出てしまうのは、
その象徴と言っても何ら疑う余地はないと私は考えています。
今存在している体が、本当に自分のものであるのだろうか?
体の中には100兆もの細菌とウイルスが住み着き、
体は単に、個々に独自の遺伝子を持って生き延びることの出来る、細胞の住みかとなっている箱のようなもので、
精神(意思や感情)もその箱の中で共存させてもらっているに過ぎないにも関わらず、
さも自分が主役で操縦が可能な存在なのだと自惚れた勘違い人間が、
精神的な障害を起こしてしまうのではないだろうかと私は思ってます。
でもこのような考えは誰に教わることではなく、徐々にそれに気がつき始めるものだと感じます。
ただ、それをどのくらいの年齢で気がつくかで、その後の人生に大きな影響があると感じます。
体もその自然の一部でもあり、人間の頭脳で作り出せるものではなく、
自然を敬い続けるということは、住まわせてもらっている体を敬い続けるということになります。
体に異常をきたし、精神にも異常をきたし、薬や手術をして、何が自然を敬っていると言えるのだろうか。
生きるということは、まず一番身近な体を敬うことが大切になってくるのではないだろうか。
それができてなくて、何が幸せになろうか。
生きる意味、意義を考える前に、そのことの方が大切なのではないだろうかと考えています。
精神問題を考えるとき、この考え方を外して真の回復は望めないのではないだろうかと考えています。