タンタンと物事をこなす。
捨てていくこと、そしてファジーな感覚を大切にしながら進む。
一つの出来事に一喜一憂し過ぎないその佇まい。
まるで長閑な朝の光を浴びながら、川の流れを見ている時のように。
こんな気持ちを維持できたら、どんなにいいでしょうね。
ずっとそこへ入るための入り口切符を探していたように思います。
そのヒントが捨てていくこと、そしてファジーなことと気づきました。
一言でいえば、完璧を求め過ぎないこと。
完璧を求める気持ちは、僕の中には一生取り除けないものの感覚。
でも、そのことに気づいたことで、そこへの意識はあえて持たなくてもいいことに気づきました。
ほっといても完璧にやろうとするものだから。
性格なのかは分かりませんが、恐らく誰しも持っている感覚なのかもしれません。
なぜなら、生きていくことはそこを無くしては生きてはいけないものだから。
全ての生命は、そこを追及し続けた結果、今の進化があるのだと思う。
だから意識は、捨てていくこと、そしてファジーなことを大切にすることで、
さらに完璧に近づける気がしてします。
自分を知ること、自分の癖を知るって、なかなか難しい。
意識の持ち方って、どこでどのように持てばいいのか、難しい。
難しいからこそ、それを知りたくて生きてるんじゃないかって、最近思います。
先日あるCMを見て、いいキャッチコピーだなって思いました。
「もしも世界に僕しかいなくなったとしても、僕は僕の服を着る」
このキャッチコピーを思わずメモっていました。
フォーマル服のORIHICAのCMのキャッチコピーですが、
皆さんは、もしも世界に自分しかいなくなったとしたら、
今着ているような服をそのまま着ますか?
それとも変わりますか?
服を機能性で選ぶ人、見た目で選ぶ人、気分で選ぶ人様々ですが、
状況が変化したときに変わるでしょうか。
生命の進化とは、順応性に優れたものが生き残って来ていますが、
ファッションも順応していくものなのでしょうが、
一人だけになったら、服を作る人がいないじゃないかって理由は置いておいて、
考えてみて下さい。
ファッションって自分の為にするものなのか。
人のためにするものなのか。
鳥とか子孫を残すために、色んな進化を遂げますよね。
でも全部の鳥が鮮やかな羽や色や形を持ってはいません。
身を守ることを優先して進化した鳥もいます。
獲物を取りやすいように飛び方を工夫した鳥もいます。
一概には見た目だけでもないようですが、
服を自分と置き換えた時にどうでしょうか?
この世界に自分一人だけだとすると、進化できるのでしょうか?
一人だと努力したいとか、こうしたいという希望や夢は抱くのでしょうか?
そう考えたら、人って自分以外の誰かがいてくれるから、
進化するのではないでしょうか。
当たり前のようで、あまり考えていなかった気がします。
気が合う人、合わない人、それぞれにいてくれるから、
進化するんだと、このキャッチコピーを聞いて、改めて感じました。
今日はこの辺で。
いつも最後までお読みくださいまして、ありがとうございます。
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