一昨日の当会集会前にタカノフルーツバーにご一緒したH氏は今年就職されたそうですが、最近の若い方とは違い紺のペンシルストライプのスリーピースを着こなし、服装にはなかなかのこだわりを見せていらっしゃいました。これは今時の若者に少ない感性で口幅ったいようですが大変好感を抱きました。
それに引き替え多くの人達は何時の頃からか「リクルートスーツ」なるものが登場し、男女を問わず皆葬儀屋の弟子みたいなスタイルになってしまいました。この傾向は多分個性重視の教育が始まってからと思われますので、まさに皮肉としか言いようがございません。先日テレビで入社試験の際スーツ禁止にした会社が紹介されておりましたが、現況の黒一色という風景は如何なものかと思います。
ついでながら黒一色という風景は葬式や結婚式で目に致しますが、多くの男性が着用している黒のダブルのスーツは「カインドウエア」という洋服メーカーが、冠婚葬祭に使える「ソシアルスーツ」という名で発売しそれが定着。特に決まりはないのに殆んど制服化したそうです。(便利なので私も持っています)
それはさて置き、40年近く昔私が新入社員の頃はそれこそ皆色とりどりのスーツ姿で、当時の写真を見ると私は茶色を着ておりましたし、中には漫才師のように派手なチェック柄の者まで見られました。服装について我が社が特に基準が緩かった訳ではなく、他社の新入社員も概ね似たようなもので、街中が現在のようなモノトーンではなく男女共もっと華やかに感じました。
しかし学生が就職の為企業に阿るのは昔から行われたことで、我々を含めた世代でも在学中は長髪にして「反権力」などと威勢の良い事を言っておりながら、いざ就職となると途端に短髪にするなどよく見る光景でありましたし、当時そんな内容の歌もあったと記憶しております。
昨今の男女平等もその根底に上記のように思考を停止させ、画一化を図るという誠に危ういものを感じさせます。周りの同期はみな同じ、男も女も皆同じというのは全く左巻き連中の期している結果であり、見事にそれが達成されようとしております。
我が国に於いては一見自由度が極めて高いように見られますが、実際は見えない規制でがんじがらめになっているのではないでしょうか。他人と違うこと、違う服装、違う考え方などをするとスポイルされる。極端に周囲を意識して生活して行かなければならないのでしょう。これもまた立派な全体主義でありこの傾向にそろそろ終止符を打たなければなりません。我々は微力でまさに蟷螂の斧でございますが、アリの一穴という言葉の通りここから風穴を開けて行かなければなりません。