議員定数不均衡・一票の格差問題~民主主義の根幹に関わる問題 | 福岡県議会議員 「走る、弁護士!」 堀 大助
こんばんわ。

先週来、新聞報道が続く議員定数不均衡・一票の較差問題。
裁判所の違憲判断が続き、今後の別の裁判所での判断や、その後の最高裁判決が注目されます。

僕も、司法試験の受験生の頃勉強しましたが、実務についてからはこの種の事案を担当しておらず、忘れていることも多いので、記憶喚起の意味も込めて、憲法上の問題点などを簡単にまとめてみました(なお、憲法学会には様々な学説があるので、考え方は下記記述に限られません)。

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ご存知の方も多いと思いますが、議員定数不均衡とは、住所を基準とした現行の選挙区制度により、有権者の有している投票の価値が、住んでいる場所によってまちまちになっているという状態です。例えば、A県は有権者が100万人、B県は50万人だけど、選挙で選べるのはそれぞれ一人となると、投票の価値には2倍の開きがあります。B県の有権者は一人一票だけど、A県では実質的に一人0.5票というのは住所による差別じゃないのか、というのがおおまかな議論です。


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・憲法は、すべての国民を「法の下に平等」に扱い、いかなる差別も禁止しています(憲法14条1項)。また、選挙においては特に、44条但書が、差別的取り扱いを重ねて禁止しています。つまり、憲法は選挙において有権者を平等に扱うよう要請しているのですが、この平等の中身については、単に投票の数的平等(一人一票)のみならず、投票の実際の価値までも平等であること(投票価値の平等)を含む、と解されています。

・投票価値の平等が憲法上の要請ということになると、先ほどの例のような場合は、A県の有権者には実質的には0.5票しか与えられていないということになりますので、住所を理由とした不平等な取り扱いとして、憲法違反の疑いが生じます。
ちなみに、この投票価値の平等の問題は、AさんとBさんが平等に扱われているかという横の関係として捉えられていますが、これをAさんの選挙権(憲法15条1項)が国家によって侵害されているのではないかと考えれば、国家とAさんの縦の関係として見ることも出来ます。

・その他、最近では、従来的な法の下の平等という論点のみならず、全国民の代表たる国会議員を選ぶ過程そのものに欠陥があるとして、国民主権や民主主義を基本とする統治機構論から考えるという見解もあり、なるほどと思います。
つまり、日本国憲法は正当に選挙された代表者を通じて国家運営をしていくと宣言しながら(国民主権に基づく間接民主制)、代表者たる議員の選考過程に欠陥、つまり一票の格差があり、主権者たる国民の意思が正しく反映されていないとなると、国が行う全ての行為に正当な根拠がなくなってしまいます。例えば、内閣総理大臣の指名は国会の議決で行われますし(67条)、最高裁判所長官の指名を行うのはその国会で選ばれた総理大臣が長を務める内閣です(6条)。出発点に欠陥があるとその後の国家の行為全てに影響を及ぼすということなので、よく考えれば民主主義の根幹に関わるような非常に重大な問題なんです。



・較差が違憲と評価される基準についてですが、学説の多くは、地域による特性や過疎地への配慮を考えても、較差が2倍以上になれば、原則的には違憲と考えています。過疎地に対する配慮などはもちろん大切だけど、そのような非人口的な要素は憲法上の要請である投票価値の平等に反しない限度で考慮されるべきだからです。完全に較差をゼロにすることの困難さは誰もが理解しますが、かといって2倍以上に開けば、投票価値の原則に明らかに反してしまうからです。

・なお、最高裁は明示的な基準を提示してはいませんが、衆議院では3倍、参議院では5倍程度を目安としているのでは(or目安としていたのでは)、と分析されています。
ちなみに、最高裁は衆議院と参議院で異なる基準を用いることを許容していますが、学説には否定的なものも多いです。判例が言う参議院の地域代表的性格は憲法のどこにも触れられておらず、逆に憲法は、全ての国会議員は特定地域住民の代表ではなく「全国民の代表」であることを明示しています(43条1項)。そうすると、半数改選という参議院独自の選挙制度(46条)に配慮するとしても、衆議院と異なる基準を設け、較差基準を緩やかに解する合理性はないのではないか、という理屈です。



較差が違憲と評価される基準を超えていたからといって、すぐに違憲判決が出されるわけではありません。「違憲状態」という言葉を耳にした方も多いと思いますが、違憲判断が出されるには、この「違憲状態」が「合理的期間」内に是正されなかったことが必要になります。
定数配分が投票価値の平等を侵害する状態になっていたとしても、それを是正するにはどうしても調査や立法作業に一定の期間が必要となります。だから、その期間が経過するまでは、立法府(国会)の裁量を尊重して、「違憲状態」ではあっても「違憲判決」は出されません(つまり合憲判断になります)。

今回の一連の訴訟では、「合理的期間」を経過していたから、違憲判決が出されたというわけです。

なお、違憲と判断される場合、最高裁は過去に、定数配分全体が「違憲の瑕疵を帯びる」として、全ての選挙区に影響が及ぶと述べています。



違憲判決が出たとして、その判決の効力がどうなるかは次の問題です。
基本的には、違憲判断が出ると憲法に反する法令・行為は当該事件に関しては無効になるのですが、選挙の効力を争う今回の訴訟においては、裁判所は「違憲判断はするが、それは違憲であるという宣言だけで、無効という効力は与えない」と判断しました。

これは、多分一般には分かりにくいと思います。僕も腑に落ちないところがありますが、裁判所は、これを「事情判決の法理」というふうに呼んで、こういう形の判決を認めています。行政事件訴訟法では、行政処分等が違法と判断されても、行政の著しい混乱が予想される場合にはこれを避けるため、「事情判決」を出すことを認めています。今回の選挙無効の裁判では、この「事情判決」を出すこと自体は公選法で禁止されているのですが、裁判所は、事情判決の背後にある考え方そのもの、つまり、既に行われた処分などを無効にするととんでもない混乱が起きる場合には、それを避けることも許されるという価値観自体は選挙無効裁判にも当てはまると考え、「事情判決の法理(考え方)」という形にして、公選法違反にならないようにしています。

なお、近時では、このような曖昧な判決を出していると国会になめられて、国会が必要な処置を採らなくなるから、事情判決の法理は採用せずに、別の方法、例えば、選挙の効力を過去にさかのぼって無効にするのではなく、将来に向かってのみ失わせるような判決、また、直ちに無効とするのではなく、無効となる期限を決めて(例えば通常国会終了後など)、早期の処置を促すような判決を出すことも検討すべし、という意見もあります。



簡単に、といいながら随分長くなってしまいました。すいません&読んでいただいた方有難うございます。

選挙制度は政党や政治家の利害も絡むところですし、立法と司法の役割分担の領域でもあるわけなのですが、裁判所が過度に立法府に遠慮し、判断をためらうというのはよくないです。三権分立を採っている日本において、国家の行為の最終判断は司法権・裁判所が行います。その役割を果たさずに、国会をのみ「立法府の怠慢」と非難することは出来ないですし、「立法府の怠慢」を黙認するのは「司法の怠慢」でもあるわけです。

原理原則論ではいかないのが世の中ではありますが、正しい状態を導くための努力を、少しでもしていきたいと思います。