父の家は、横浜で手広く商売をやっていた。

 

昭和一桁の生まれなのに、スーツを着て幼稚園に通っていた父(爆笑)

お手伝いが5人の兄弟それぞれの一人ずつついていたそうだ。

父にはツルというお手伝いがついていた。

 

私はツルに会った事がある。

 

歳上のツルが父のことを『ヨシユキさん』と親しげに呼ぶのが不思議だった。

 

でも、戦争で、空襲に遭い、疎開をした。

 

そこからは、大変な生活だったそうだ。

慣れない畑仕事。疎開先での親のいない生活。

貧しさ。

 

終戦の日には、ラジオで玉音放送を聴いて、ふーんって思って…、

すぐに川に泳ぎに行ったそうだ。

 

何も思わなかった、と父は言っていた。

何も感じなかった、と言っていた。

 

本当だろうか?

 

かぼちゃは大嫌いで絶対に食べなかった父。

戦時中に散々食べたからだと言っていた。

 

散歩に行くと、この草は食べられると、父は、ぽきっと草を折って食べさせてくれた。

お世辞にも美味しいとはいえなかった。

 

私の折った草を見て、

『あ、それは渋くて食べられない…。』

 

食べた事あるんだ…。

こんな草も…。あんなのも…。

 

戦争ってすごく哀しい…。

 

父が好きだったのは、弾けるように明るいディキシーランド・ジャズ。『らしくない』と思っていた。

 

いつも書斎でしかめっ面をしていた父。らしくないよ。こういう明るいのは…。

 

一回聴きに行ったことがある。

BennyGoodmanが来日した時のステージを。

父と一緒に。

 

 

お父さん、本当は、どんな風に生きたかったの?

 

戦争と、あの母がいなかったら、本当はどんな風に生きたかったの?

 

 

 

 

 

寒い日、コートを着て家を出る。

 

『熱があるんでしょう?今日は休んだら?』

そう言って止めても会社に行った父。

 

とても寒い日。手袋をして、コートを着て、夜明け前に家を出る父。

 

家でゆっくりしていればいいのに…。

 

『いや、いいんだ。どうしても休めない仕事がある。』

家を出る。

 

お父さん、なんの為に働いていたの?

家族のため?

仕事が愉しかったの?

 

それとも、家に居たくなかったの?

 

 

 

 

 

 

文句ひとつ言わない昭和のひと。

いいんだよ、文句言って。

愚痴言って。

 

黙って歯を食いしばって生きていた。

 

 

 

『お前は、自由でいいな。』

 

そう?

 

『おまは、いい男と結婚したな。お前の家は言いたいことが言える家だ。』

 

それが、当たり前…。

お父さん、それが当たり前なんだよ。

 

 

で、全部我慢して、逃げていたのかもね。

いろんな事からさ。

 

どうしていいか分からなくて。

 

 

私は父を見ていて、『男より、女の方が強い』そう思った…。

私の方が強い。

 

だって、私、ぶっ壊したんだもの、あの家を。

 

 

 

 

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