よろしければ、ポチッと聞きながら…。
康平ちゃんが活動休止という報から、数日が経った…。
グジグジしているワタクシ。
どうせ、なんにも用事のない身です。悲しいときには、こんな風にしてても大丈夫。
康平ちゃんのブログを何度も何度も見て、涙が溢れて、夜もよく眠れず…。
バカですね。
でも、康平ちゃんは、私が、一度は本気で結婚しようと思っていたひと!!🥺💦💦
↑バカじゃないのかね…。オマエは🌀
あ、誤解しないでくださいね(笑)
高校の時には、もう絶対に、結婚するのは康平ちゃんしかいないと、思っていました。 ← 妄想です。
その根拠のない思い込みはどこからくるんだか、と今になってみたら思いますが、当時のちょっとアホの子っぽい私みたいな女子高校生の5人にひとりは、いや10人にひとりくらいは、そう強く思い込んでいたに違いない…w。
「大友康平と結婚する」って!!!
親友Pちゃんなんて、康平ちゃんと結婚して洗濯を干す妄想が好きで、いつも、その話をしていましたから…。
で、私も結婚しようと、思っていたんです。
本気で。(笑)
友人Pは、いつも言っていた。
「ね、お天気なお庭で康平ちゃんのシャツをね、こうやって干すの!!!」とか…。
それを聞いて、足をバタバタさせて「きゃーーーーー!」なんて、一緒に叫んでいた、バカな純情女子でした。
雑誌の切り抜きを握り締めて康平ちゃんのどこがかっこいいか、どの曲が好きとか、言いっこしたり…。
ね、今はこんなオバサンでも、そんなかわいい時代もありました。
で、
こんな私なんかに、付き合ってくれませんか?って言ってくれた奇特な男子に、
『私は康平ちゃんがいるから、無理。』
って本気で言って、そのアホさ加減に呆れられていました。
あのさ、知ってるよ、ハウンドドッグの大友康平でしょ、ばっかじゃないの??
〇〇さん、無理無理無理。
相手にしてくれるわけないじゃん。
そんなの知ってる。
でも私のライバルは、あの 「Miss M に捧ぐ」の、ミッチさんという方しかいない、と、
本気で思っていましたからね…。
バカですね…🥺💦
もう、康平ちゃんにそこまで思われて、その方、どんだけかわいいひとなのでしょう!?と、本当、思っていましたよ、ワタクシ。
今とは、時代が違いますからね、そんな、SNSも無かったし、携帯も無かったし、康平ちゃんのそばに行けるなんてことは、もちろん絶対無かった。
そして、康平ちゃんは、あんまりホテルまで追いかける女子とかを、多分、良くは思っていないかも…って思った。
で、私と、その洗濯の妄想のオンナ・友人Pは、絶対康平ちゃんをタクシーで追いかけるとか、やめよって言ってたんです。
で、二人でよく妄想ごっこをしてました(笑)
もう、どんだけバカなの?!って感じですよね。
で、当時からワタクシは、「FENを聞きながら」の歌詞の、
シーツにくるまってモソモソっていうのがもう、
もう…、
そ、そ、そ、そ、
そそそそそ、そんなこと、していいの?!
へ、康平ちゃんと、シーツにくるまっちゃうの!?
そんな…。きゃーーーー。ダメダメ!!
もう、やだーーー。
眠れないわよ、康平ちゃんといたら!!!!
って、シーツにくるまって、何するのかって、一緒にグースカ寝るんだと、
そう、「ただ寝るんだ」と、「睡眠をとる」のだと、
信じてたんです!!!てば。
もう…。
そんな時代です。
バカはワタクシだけじゃありません。
多分…。
その友人Pも、康平ちゃんのシャツの洗濯に夢を持っていたぐらいですから…。
康平ちゃんは、多分こんなのを着てる、とか、そんな話で盛り上がっていました💦
よくも、まあ、大友康平と、ケッコンするなんて、
そんなことを大真面目に周りに言って回っていたのかと、我ながら、自分のバカさにガッカリする…。
でもね、康平ちゃんってば、ちょっと髪を撫でて、キスぐらいはしてくれるんだと…、
そのくらいは、ね、思ってました。
ああああああああ。
で、私は、高校を卒業し、進学し、そして、就職し、怒涛のOL生活、そして、主人と結婚。
そして、10年間、主人の友人の特許事務所のお手伝いをし、息子を産んで、しばらくしていきなりの渡米。
帰国してからは、立ち上げたピアノの仕事で、必死。
子供も小さく、ライヴなんかに行けるわけはなく…。
でも、
息子が就職する少し前に、再び出会った「いすゞのトラック」に乗る康平ちゃん!!
「ねええええ、この人、この人、ね、昔すっごく歌がうまくてかっこいいバンドやってたひとなんだよ!!!」
「大友康平っていうの!!!」
「このひと!見て!かあたん、この人大好きだったの!!」
この声!!この歌い方!!この笑顔!!
ああ、それは、いすゞのエルフに乗った康平ちゃんだった。
もう、CMで見られるなんて、なんて贅沢!!!
そして、息子が就職。
もう、本当に、嬉しかった。
親子2代に亘って、康平ちゃんに励ましてもらってる。
いすゞの外線に電話すると、あの曲がかかっているそうだ。
カラオケバージョンだけれど…。
でも、小さなそんなことが、もうすっごく嬉しくて、嬉しくて…。
康平ちゃんにまた会いたいって思って、ライヴを調べていたら、康平ちゃんのブログも発見。
昔と変わらない康平ちゃんの文章がそこにはあった。
ああ、康平ちゃんの本もよく読んだなぁ。
そして、六本木、銀座と、再びライヴに行くようになって、ステージの上の康平ちゃんの変わらぬパワーと変わらない仕草と、変わらない歌声がそこにはあって、私は、ああ、ここは私の居場所だわ、って、そんな風に思った。
「突撃隊」とかっていうファンクラブの人たちがいませんでしたっけ?武道館のチケットを売った…。間違っていたらごめんなさい。でも、びっくりしました。ヒット曲もないのに、武道館…。
康平ちゃんらしいですよね。
大友康平のライヴにいると、なんだか私は、勝手がわかる親戚の家に行ったような気持ちになるのです…w(笑)
どう振る舞ったらいいか、わかってることの安心感…。
あの炎のランナーがかかる瞬間のザワザワした期待感や、あのものすごい声、リズム感…。バシッとくる感じ。そして、そうよ、康平ちゃんが、喋る時のあの感じ、間とか、もう、いつもの感じが、とても心地よくて…、私はまたここに戻って来れたんだよねって、なんだか、居心地が良いのです。
そして、なんだかみんな、話しかけてくるひとの良さ、が、ファンにもあるんです。
康平ちゃんの声も、マイクのぶん回し方も…。
あ、私の行っていた頃はね、あんまりぶん回してはいなかったけど…。
で、もう、再び出会った昔の彼みたいな感じで、また春のライヴを愉しみにしていたんですが、そんな矢先に、この活動休止の報…。
泣かない訳がないじゃないですか…。
その昔、親友だった「洗濯妄想の友人P」のお父さまが、越路吹雪が大好きで、越路吹雪が亡くなったらお父さま、倒れてしまって、なんと入院してしまったという話をしていて…。
その時には、友人Pと大笑いしていましたが、なにもわかっていなかったと、過去の自分をぶん殴ってやりたいです。
あの、今ならその気持ち、わかる。わかるんですよ。
私も、危ない…。やばい。
「大友康平が不死身であるという事実」を知っていながら、私もこうしてふとした瞬間にも、涙が溢れてきてしまうのだから…。
あの、その、大友康平は私が結婚まで考えたオトコである訳だし、その昔の、というか初恋のひとが…。
眠れませんよ…。
今はもう、こんな、いい年のオバサンですが、それだって、私にも、こんなかわいい時代があって、そしてその相手が、人生の大ピンチだなんて…。
でも、今回のことで、
「大友康平が不死身だ」ってわかったので、
私は安心して復帰を待つことにした。
涙が出て仕方がないけど。
ふとした時に、思い出して悲しくなっちゃうけど。
復帰したら、弾けましょう。
キッチンで、お夕食作りながら、「康平」って、小さく呼んでみる(笑)
どこからか、
「あんだよーー、大丈夫だから。心配すんなよーー。」って
聞こえてくる気がする…。あの笑顔で。
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