石を使い果たすも、当たらず。
イベントガチャに登場するまで、気長に石を貯めながら待とうと、どうにかこうにか無理矢理ポジティブに考えています。
私はジュウザを推してるのではなく、本気でジュウザが理想の男性なんだと確信した。
本気よ。ガチ。ガチ勢。
勝利への拘りが強いラオウでなければ、ジュウザを倒すことは不可能だと思う。ど派手な奥義こそないが、技に関してはその拳の才能はずば抜けている。
私のような凡人にはわからないが、ラオウの言う「些かも衰えておらぬ」と黒王から降りたことが、その証明になる。
「才能」・「技術」
才能と技術のある男性が、女は好きだと思う。知らんけど。
私は好き。「スペシャリスト」とかに弱い。
いくら才能があっても、高度な技というものは生まれた時から何もせずに得られるものではない。才能とは、それを会得する術である。
その為には努力や鍛錬が必要だが、がむしゃらに頑張った所で極められないことなんて、沢山ある。
だからこそ「己を知る」ことが大切で、己を知る為には自分を認める必要がある。自分自身を尊重する「自尊心」がなければ、何事も本当の意味では極められない。
拳においても、これが出来るのと出来ないのとでは、大きな差が開く。
自己を追求し、己の意思のみで生き、自分を熟知しているジュウザだからこそ、五車星で唯一、直接的にあのラオウの足止めが可能となった。
これがジュウザの才能であり、己の意思により動くことでその才能は発揮される。
そして、それらの究極となる核が「愛する女」であるジュウザは、世界一かっこいい。
全く愛に重さを感じないのだ。
善人のほとんどが深刻な顔で生きるあの世紀末で、あんなに明るく生きてた大人はジュウザだけだった。
よく考えて欲しい。
世界は核の炎に包まれ、海は枯れ、地は避け、、、なんだかんだで暴力による支配、力こそが正義の時代となった。
一杯の水のために、幼い命が奪われる時代。
その時代を手に治めんと、北斗の長兄は覇者を目指し、その時代を変えるため、北斗神拳伝承者は闘う。
南斗六聖拳は各々の宿命に散って行き、残るは南斗最後の将ただ一人。
その将を守る為、五車星が命懸けで動く中、ジュウザは好き勝手に女たちと遊んでいた。
「生きていてこそ楽しみはある。」
明るい。めっちゃ根明。仲間も誰一人として深刻な顔してないし、どちらかというとふざけている。
かと思いきや、そう言いながらも実は、ユリアという生き甲斐を失った虚しさを抱えていたという過去。
それを語らずとも、時折見せる切ない表情に心が揺さぶられる。
影があるのだ。いい感じに影がある。
女の半分は影のある人が好き。知らんけど。
私は好き。
こんな風に、ちゃらんぽらんに見えるも、芯のある男性に女性は惹かれる。私を筆頭に。
少年のような無邪気さと、根っこにある男らしさ。女の子は傷つけてはいけないよという正義。
そして最終的には、たった一人の愛する女のために死を覚悟した闘いに果てるという、実は誰よりも一途なお方。
私は好き。
だから本当に欲しかった。運で引きたかった。運命感じたかった。
欲しかったよおおおおお!!!!!
誰の指図も受けず、やりたいようにやってきたジュウザにとって、唯一叶わなかったのがユリア。
しかし、それでも最後にはその愛に生きることが出来、結果的には自由の究極へと行き着いたのである。
私も、叶わなくても自由を極める人生を生き、最後は笑って死ねたらいいなと思う。