鬼滅の刃を読み終えて | 北斗の拳好きすぎるブログ

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※ネタバレあり








鬼滅の刃、最終話を読み終えた。


「感動した」の一言に尽きる。


無限列車も見に行ってマスクびしょびしょに濡らしたし、アニメでも漫画でも見ながら泣きまくっているので、私は鬼滅ファンである。

歳のせいもあるかも知れないが、なんか真っ直ぐ心に響いて感動するのだ。

それに加えて櫻井孝宏さんの冨岡義勇がよき。







とはいえ。

正直言うと、ここまで騒がれる程なのかなという疑問はあった。
確かに面白いし、少年漫画の王道であり、子どもがハマるのはわかる。技名を言うのとかかっこいいもんね、マネして遊べるし。ちょっとグロいけど。(最近の子は慣れてるのかな、だとしたら北斗の拳テレビで再放送して欲しい。)

ただ、社会現象を巻き起こすほどかと言うと、うーーーーん…て感じだった。

批判ではない。ファンですから。

私は他のアニメと比較して批判というのは好きじゃない。似ている所を見つけたり、通ずるものがあると思うことはあるが、アニメ好きとして批判はちょっと。他アニメと比べて北斗の拳を批判されたら、いや違うやんってなるし。
どっちの方が好きとか、こっちの方がハマったとかはあるけど。

だが、この爆発的人気は一体なぜか、他の面白いアニメとの違いは何なのか、という疑問はあった。



しかし、先日鬼滅ネタで盛り上がったおっさんおじ様の話を聞いて納得した。


アニメ知らんけどとりあえず見に行くおっさんが多いということと、

その世代にウケるんだな、と。




おっさんAの話


映画公開初日、鬼滅の刃を家族の話(鬼退治程度)で聞いただけの状態で、家族に連れられ見に行ったらしい。

泣いたらしい。
泣いてる所を妻子や他人にに見られたら恥ずかしいから我慢したけど、涙どころか嗚咽も我慢できなかったらしい。

おっさんは言った。
「あれは男だ」と。

おっさんは言った。
「アニメを超越してた」と。

おっさんは言った。
「煉獄杏寿郎こそが理想の男の生き様だ」と。

そしておっさんは、泣きすぎてマスクの中で息苦しくなるも、
このまま煉獄杏寿郎と死ねるなら本望!
とまで思ったらしい。



それ以来おっさんは、煉獄さんの言葉を胸に、その凄絶な死を背負い生きているという。






無限列車の公開で、煉獄杏寿郎が更に旋風を巻き起こしたのは実際観て納得である。
わざわざ劇場でもう1回見たいと思える映画だった。
特におっさんにとって、煉獄さんの生き様とは本来在るべき男の姿であり、煉獄さんの言葉一つ一つに感銘を受けたのだろう。
忘れかけていた、大切なおっさんの何かを思い出させてくれたのが煉獄杏寿郎なのだろう。




おっさんBの話


ワンピースファンのおっさんは鬼滅に追い抜かれた悔しさから、頑なに見ることを拒んでいたが、家族の会話に入れず、仕方なく一話を見たらしい。

泣いたらしい。

おっさんは言った。
「家族を大事にしようと思った」と。

おっさんは言った。
「お兄ちゃんは妹を守ってこそお兄ちゃんだ」と。

おっさんは言った。
「俺は炭治郎を応援する」と。


結局全話見て今度無限列車見に行くらしい。




なるほど、無限列車に限らず何せ、おっさんはハマるのか。


アニメを見たおっさんは、炭治郎に感情移入する。
映画を見たおっさんは、煉獄さんに惚れる。

ついでに伊之助を好きになる。

なるほど。


おっさんの思うかっこよさとか男らしさって、気合いとか責任感とか、心の熱さなんだろうな。ワイルドで破天荒な感じとか好きなんだろうな。


いや、知らんけど。
アンケートとったわけじゃないし、おっさんみんながそうではないんだけど。
ただ、鬼滅の刃を見たおっさんの8割は、思ってたよりハマったという感じな気がする。

おっさん達の会話には炭治郎と禰豆子以外の名前はほぼ出ない。「金髪のやつ」とか、「猪のやつ」とか、「あの天狗のおっさん」とか、「あの目の鬼」とか。
名前が難しくて覚えられないし、そもそも覚える気もなさそう。なのに、気に入ったセリフは覚えているおっさん達。
おっさん同士でモノマネをして遊ぶおっさん達。
冨岡義勇の「凪(覚えやすい)に惚れたおっさん達。






私もおばさんだからわかるが、あまりにも内容が複雑だと人にそこまで勧めない。
あまりにも話が長すぎるのも、そこまで勧められない。
その点で鬼滅の刃は「とにかく1回見て!」と言えるのだ。

そして1回見ればわかる。


鬼舞辻無惨によって生まれた、人喰い鬼を狩る鬼狩り、「鬼殺隊」。
そのルーツは、無惨と同じ血筋である産屋敷家が、鬼となった無惨討伐を悲願として生まれた、政府非公認の組織である。
1000年も前から大正時代まで、その戦いは繰り返されていた。






ここから最終話まで、なにもひっくり返されることなく完結するのだ。


1話を見てわかることは、

話し合って解決できる可能性ゼロという設定。
一人(無惨)倒せば全員救われるという設定。
だからみんなで協力して戦うというわかりやすさ。

そして、鬼舞辻無惨は悪であること、主人公炭治郎は優しい少年だということ、柱(冨岡義勇)はめちゃくちゃ強いということ。

炭治郎が闘う理由、成長する目的、目標とする強さ、鬼は人間だったという事実。


このまま進むのである。


だが実は!とか、衝撃的な展開!!などはなく、そのまま最終話へ進むのがとにかくわかりやすい。

何故鬼殺隊(柱)となったのか、何故鬼となったのか、そこに強さと弱さが明確に描かれ、「悪いのは鬼舞辻無惨だ」という、ハッキリとした正義と悪の戦いが続き、終わる。






途中でややこしくなったりしない。

おっさんはややこしいのが嫌いだ。
おっさんは煩わしいのが嫌いだ。

おっさんはわかりやすい正義が好きだ。
おっさんはわかりやすい情けが好きだ。


努力と根性でやってきたおっさん達には、そういうどストレートな物語が響くのだ。




カラオケスナック行っても最近の歌はあいみょんしか知らないおっさん達だが、紅蓮華入れると興奮するおっさん達。因みに、何回炎(ほむら)と言っても「炎(ほのお)」と言うおっさん達。
「ほのお」ならまだしも、「ほまれ」と言うおっさんもいる。それ澤さん。





そして私の歌をBGMに煉獄さんを語り始めるおっさん達。




なんてかわいい生き物なんだろう。

愛おしささえ込み上げる。


鬼滅の刃のよさがわからないというのは人それぞれだしいいんだけど、鬼滅をわざわざ他アニメと比較して批判する人達よりも、すんなり受け入れて感動してるおっさん達って、かわいいなと思った。

アニメ化し、人気が爆発した鬼滅の刃だが、更におっさんがハマることで相乗効果をもたらしたのだろうか。

大正時代、鬼退治、刀、家族愛、男らしさ、長男という責任。
おっさんの好きなものが詰まった作品が、「鬼滅の刃」なのである。


(一個人の意見です。)