昨日の笑点のネタでも書いたが、悪には鉄槌をという考え方をやめなければいけないと思う。
ざまぁ、がないと納得いかないのも人間である。
しかしそんなことを言っていたらきりがない。
勝負もあっていいものか迷う。
勝つものがいれば、必ず敗者がいる。
この意識改革を来年の目標にしたいと思ったが、やめた。
1年ちょっとで自分をそのように変えるのは、たぶん無理だと思うからだ。
人間の欲求として根深い、この問題を、それでも変えられれば。
そこに新しい世界があると思う。
昨日の笑点のネタでも書いたが、悪には鉄槌をという考え方をやめなければいけないと思う。
ざまぁ、がないと納得いかないのも人間である。
しかしそんなことを言っていたらきりがない。
勝負もあっていいものか迷う。
勝つものがいれば、必ず敗者がいる。
この意識改革を来年の目標にしたいと思ったが、やめた。
1年ちょっとで自分をそのように変えるのは、たぶん無理だと思うからだ。
人間の欲求として根深い、この問題を、それでも変えられれば。
そこに新しい世界があると思う。
今日の笑点では、山田さんがゴミとしてたい平さんに担がれて行った。
これを学生が真似したらどうなるか。
即刻厳しい処分が下るのは間違いない。
じゃあ、笑点メンバーは真っ黒で処分を受けなければならないのか。
学校のルールではそうなる。
どこぞの有名タレントのように謝罪会見、番組から抹消である。
あれはわかってるメンバーでやってるからOKなのよ、という弁明もありそうだ。
じゃあ、同じく学生同士でその弁明をしたら、どうなる?
真っ黒である。
じゃあ、どうがいいのよという話であるが、
私は、いじめをするほうを過激に断罪するのがそもそも間違っていると思う。
現実の社会で普通に起こりうることなのだ。
もちろん悪いには悪いのだが、昨今の何かあったらすぐ厳重処分という流れは、
どちらかというと、支配者層が下の者に対して厳しく弾圧をし、
自分たちが安全に暮らすための手段となっている気がする。
そう、強いのは、教育委員会であり、マスコミであり、支配者層である。
いじめを断罪するのも、ある意味では弱いものいじめと変わらない、そんな何かが
あるような気がしてならない。
・・・・そして。この強者の中に、世間一般の普通と呼ばれる人がいるというのが、
問題の最も暗く根深い原因であろう。
彼らは、いじめをするものを断罪する、ということを声高に叫ぶことで、
自分たちのストレスを解消しているのだ。
日本全体が弱いものいじめをしているといってもおかしくないのだ。
困った国民である。が、人間というものは、そういうものかもしれない。
現実問題として、無料ゲーム、無料の検索エンジン、無料のテレビ、
無料の動画配信サイトであふれている。
ただより高いものは無いという。
広告収入があるからいいじゃんとか、
課金した人が払ってるんでしょということで終わりにしてはいけないと思う。
そこにはやはりお金がかかっている。
なにかしらの対価を私たちは払っているのだ。
なんだろう。
広告だったら、
人間は見たものから学習する。(AIと同様だから、というのはとりあえず置いておく)
そしたら、見たものに翻弄されて、余計なものを買うかもしれない。
払っている側からしてみよう。
仕事をして、お金をもらっている。
無料ということはただで仕事をしていることになる。
その労力は、だれが負担するのだ。
無料残業をやっていることと、何か違うのだろうか。
そう、世界に仕事が増える。報酬が無料の。
そういうわけで、良いことがない。
無料のものは、必要に迫られなければ使わないほうが良い暮らしが、できる。
そうなのだ。
見えないものは、私たちには存在しないように思える。
たとえば、ダークなサイト。
Googleなどは知っているのかもしれない。
そして、できるだけ見えないようにしてアクセスを回避させているのだろう。
しかし、あるものはあるのだ。
IPアドレスと、アクセスできる権限があれば、インターネットというものは
なんでも取り寄せてこれる。
もう一つ。
人の心の内である。
日本国憲法では良心の自由といって、何を思っていても
それだけでは決して処罰されない自由がある。
しかし、脳細胞は、その現象をイメージしている。
仮想的にはその仮想現実は、存在するのだ。
ここで前回の記事のVRが組み合わさるとどうな るのか。
脳の中の仮想現実は、現実と並行して、存在することがわかる。
データとして存在するのだから。
それが何を意味するのか。まったく意味がないのか。
もしかしたら恐ろしいことを意味するのではないかと、そうも思えている。