人間はいつか死ぬ。

 

生き物は、と言ったほうがいいかもしれない。

 

神様が生き物を作ったとして。

生き物が、死ぬように作るほうが大変なんじゃないかと思ってみた。

どこかで停止する機能を追加するわけだよ?

ないほうが簡単そうじゃない。

 

と、Geminiにも相談してみたが、Geminiは死ぬほうが理にかなっていると言っていたが。

 

まあともかく、人間はいつか死ぬ。

私は今心底、いつか死ぬのでよかったなと思っている。

 

なんらかの理由で、生き続けることが困難になった場合、

その生活に終わりが来ることは、僥倖である。

お金がなくなるかもしれない、病気で苦しむかもしれない、

体をばらばらにされるかも・・・・そんな事態に陥ったとき、

死ねないのはとても大変なことだ。

 

もちろん、今死ねと言われても死にたくない。

苦しいから。

私は認知症になって、死のうと思う。そんなに生きられるのかも謎であるが。

認知症は、生物の終わりを迎えるのに最適な、仕組みなのだ。

 

あんぱんのOP、賜物を思い返しながら今日は寝よう。

 

いつか来るいのちの終わりへと近づいてくはずの明日が、

輝いてさえ見えるほどの・・・・

 

君が握ってて、なぜにどうして?馬鹿げてると思ったりするけど。

 

まったくもって、そのとおりである。

 

 

 

べらぼうにもあった。言霊によって結果を引き寄せるということ。

 

日本では古来からそのように考える風習があったようだ。

 

実際はどうなのかはわからない。

 

でも、私雨男で・・・・などと思っている人は意外に多いのではないだろうか。

天気が自分の動向で変わるのか。それは・・・・わからないというのが正解だろう。

だが、私は信じたい。人の思いが、世界を変えるのだということを。

そんな話ではない?うん、そうかもしれないね。

 

私の日常は、なんとなーく、な雰囲気を、出来事が色づけてくれている。

なんとなーく、今の状況の心理どおりに、出来事が起こるのだ。

それは、実際起こった日が問題なのではなく、私が知った日が問題なのだ。

みなさんの人生にはそんなことはないのだろうか。私はあってあってありすぎるのだが。

 

今日は相棒を見た。即身仏になるじいさんを甲斐さんが止めようとして、

ひどい目にあう話。

 

即身仏になる、というのが、ちょっと前の私の目標であったのは確かだ。

そして、甲斐さんはキノコ狩りでその現場に遭遇した。

まじで?キノコ狩りって、そんなところまでほのめかすかなぁ。

せがれは職場に復帰するのだろうか。もちろんそうなると思いますが。のやりとりも生めかしい。

 

病気になるとこんなことまで思考伝播のようなことが起こるのだろうか。

わたしはありえると思っている。だって病気だもん、私、信じてもおかしくないでしょ。

 

さて話は変わって。

お金はお金を呼ぶ。みなさん、投資はしましょうね。

儲けたら、社会に、福祉に、お寺に、少しは還元してあげましょうね。

そうしたらまた儲かるさ。

 

 

 

私から見て、地球があって、日本があって、自分の家があって、親がいる。

おはようと挨拶してくる。

 

これは、どこまでが他人と共有されているのだろうか。

 

普通に考えると、そこに親という人間がいて、親がおはようと言う。

となる。

 

しかし、誰も他人になったことがない。

他人からどう見えるか自分と比較はどうやってもできない。

 

だから、私から世界の界面を観測すると、おはようという親がいるだけで、

その親は向こうにとっては親ではないかもしれないし、こんにちはと言っているのかもしれない。

 

つまり、見ている世界そのものが自分用にしか存在しないというものの見方である。

 

他人とのつながりは、そこに介在する翻訳機によって変換されているとすれば・・・・

もはや何が正しく、何が正しくないのかわからない世界が広がっている。

もうだいぶ昔の話です。

 

統合失調症の患者が、京都アニメーションのスタジオに乱入し、

ガソリンをまき、多くの死傷者を出した。

 

あの犯人が言っていたことです。

 

私のネタをパクられた。

 

そう、パクられた。これは、一部の統合失調症の患者が感じているのではないでしょうか。

彼らは生活の中で、アニメのネタになるような行動をしている。

そして、現実世界でそれをネタにしたアニメなどが多く発売され、ヒットしている。

 

この世界はどのようにしてかわかりませんが、つながっています。心の中の世界が、現実世界と。

心の中の声のはずが、現実世界に出てくる。

それを統合失調症患者は幻聴が、と言い、辛い症状にさいなまれるわけですが、

彼らも多少悪いのです。そういう姿や、見た目、行為をしているのは半分事実なので。

 

統合失調症をこじらせ、善い行いを心がけるようにできるだけ努めれば、

幻聴は良いことを言ってくれるようになります。あなたを励ます力になってくれるのです。

 

まあ、そんなこんなで、京都アニメーションの事件は不幸ではありましたが、

統合失調症の病気のありようを私が学ぶにはよい機会となりました。

 

 

 

 

病気の第一弾はこれ。

 

彼女は憑いてくるという漫画が、Yahooニュースに載りました。

8月ごろ。

 

これをこの方が書かれたのはもう少し前のようです。

 

しかし、この6月に私が経験というか、思いついてやったことがずばり書いてある。

びっくりしました。

 

天国にも地獄にも長い箸がある、というお話を聞いたことがある人はいると思います。

どちらにもあるのだけど、地獄では自分の口にもっていこうとして苦しみ、

天国では相手に渡して食べることで仲良く食べられる。

 

これを私は、もう一人の私にもできないかと思いました。

自分の口に食べ物をもっていって、食べる。それだけですが。

幽霊であるあなたへ、口へ渡すことができないかと。

 

そんなことを試してみていたあとで、幽霊と味覚が共有できた、なんていう漫画があることを知る。

 

そう、これなんです。

これこそが私の病気の病気と言われるゆえんであり、結果であると。