ふらりと立寄った地方の商店街、そのアーケードの下に佇む古びた書店。


何となく入った店内は、想像通り狭く書籍の品揃えも疎らなものだった。


小説が並ぶ書棚で足を止め、タイトルを眺める。


そこはかとない懐かしさを感じた後、明瞭な既視感に捉われるまでに、そう時間はかからなかった。


5年…いや、10年以上前に初版が出版された書籍が並んでいる。


そのうちの一冊を手に取り、少し日に灼けたカバーを一瞥してから、無造作に数ページ目を通す。


その洋書の和訳版は、過去に何度か読んだ記憶がある。 何かの縁なので、購入しようと思いながら、私を気に留める様子も無く、机上の書物に目を落としている主人の元へ行こうとした時、ふとこんな言葉が脳裏に浮かんだ。



【予定調和】



ドイツの哲学者であり数学者でもある〝Gottfried Wilhelm Leibniz〟の唱えた学説。



勿論、イメージしたのは、モナドを介した元の説ではなく、この説が転じて〝全ての伏線を巻き込みながら、決められた最終地点へと物語が収束していく〟という現代的な概念の方なのだが。



似てるな…



連想させたのは、パワーリフティングに於けるある事象。



・もう少し強くなってから
・標準がとれる位になってから
・この記録では恥ずかしいから
・表彰台を狙えるレベルになってから


…etc.



試合が近づくにつれ、同階級にエントリーしている選手達の直近の記録を調べだす。



多分、結構な選手がやってると思う(実際そういう話は聞くので)



上記の事象に対し、ネガティブな意見を言うつもりなどさらさら無い。 ただ、少し意識転換をしてくれたなら実数での競技人口増加につながるのではないかという淡い期待は何処かで持っていたと思う。



自分の持ち記録、情報収集で分かる範囲での同階級の選手達の持ち記録と睨めっこしながら試合への出場を思案する様を見て〝パワー〟〝リフター〟と称するならば、これ程滑稽な事はないと思う。



エピローグ迄の道筋が粗方決まっている、予定調和の世界。 そういう世界を求める人は、〝読み手側の人〟のなのだろう。



果たして自身はどちらなのだろうか。



〝書き手側〟はプロローグを迎えたのち、エピローグ迄の道筋を、自ら取捨選択し紡いでいかなければならない。 そこには当然、現実というものがのしかかってくる。


ある人は勝ち続け、ある人は負け続け、ある人は勝ち負けを繰り返す。


でもね、諦めなければ。


諦めなければ、納得出来るんじゃないだろうか。


そこには栄光も成功も無いかもしれない、でも涙が出るほどの口惜しさ、魂をすり減らすほどの緊張感、心が震えるほどの喜びは…


予定調和からは生まれない。


多分、書き手側になりたいんだろうな。


俺は。


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膝が完全に壊れた。


一旦区切りをつけた以上、それ程悲観的になる事でもない事だ。


それでも、出来うる限りの手を打っていた。


なんの為かを意識などしていなかった。


何処かで求めていたんだろう…強さを。


忘れられなかった、捨て切れなかった。 あと1Kg、あと500gという思いを。


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ごめん、インテリジェント・ビースト。


練習中に俺が言った事は、体のいい言い訳だった。


男と男の約束を違えて、予定調和に逃げようとしていた。


勝負から、強い選手から逃げて何の〝パワーリフティング〟か。


今日話せて良かった。


もう少しでクソほどダサい事をしてしまうところだったよ。


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P.S.

さあ、明日から今迄以上に仕事を頑張ろう。前回JCPで、沖縄で区切りをつける事を理由に、忙しい時期にチームの皆に無理言って、有給連発させてもらってたから…(苦笑)




ブラッド&ガッツ デッドリフト