所用で上石神井にある早稲田学院へ。
グラウンドではラグビー部が練習していました。
コーチをしていたのは、大学のラグビー部で永くコーチや監督をしていたGさん。
これ、私が知り得る限り、かつてならあり得ない光景でした。
学院は学院のプライドが強いのか、いくら付属であっても大学からコーチを受け入れず、学院のOBがその任を担っていたように見えていたからです。
しかし、係属である早実に随分水をあけられてしまった学院としては、プライドなんて言っていられなくなったのかもしれません。
知らんけど・・・
そのGさん、関係ない私が見てもちょっと怖い。
ダウンした状態から立ち上がってダミーにタックルを30秒繰り返す練習をしていました。
「話になんねえ」
「避けるな!顔面から当たっていけ!」
「ダミーを持つ奴も練習だ。引きずるな!持ち上げて元の位置に戻せ!」
と檄が飛びます。
大学生だって怖いのに、成績がいいのね!なんて褒められたことしかない学院生には恐怖そのものでしょう。
しかし、Gさんには間違いなく選手たちへの愛があるんですよね。
久しぶりにそんな光景を見ていたら、鼻の奥がツーンとしてきました。
そう言えば、1月1日のラジオ番組『藤島大の楕円球にみる夢』で、やはり厳しさの奥に横たわる愛について語られていました。
1970年代、ワセダのフランカーコーチをしていた和泉武雄さんのことです。
和泉コーチは、同郷である愛媛の名門私立高校からワセダに来て、合宿中のある日、4年生にしてやっとアカクロに手の届きかかった野村能久選手に居残りの激烈な特訓を科し、翌日の上に上がれるか否かの大切な部内マッチで活躍が不可能なほど追い込んだそうな。
なぜ?と問うた藤島コーチに、
「みんなは、勉強で入学して、忙しい理工学部の勉強とラグビーを両立させた野村が好きだろ?
でもこのまま早明戦に出たら、明治の高校ジャパンに一発でやられる。
今日俺が絞ったから、明日、あいつは活躍できないだろう。
そうしたら、一度あいつを下のチームに落とせ。
そこから、もういっぺん這い上がったら本物よ」と。
その野村選手は、卒業後、テレビ朝日に就職し、カイロ支局長だった37歳の時にリビアで命を落としたそうな。
そして、その野村選手を筋金入りの人間に鍛えた和泉コーチは、昨年12月に亡くなったとのこと。
愛とはなんぞや。
そして、人生は非情である。