今月は、息子の結婚式というビッグイベントがあり、そしてこの節目の行事も待っていました。
亡父の十三回忌です。
菩提寺に初めて来た娘の旦那は、その立派な伽藍を見てびっくりしています。
そうか、来たこともなかったんだね。まあ、コロナでこういった行事もなかったからね。
確かにこの寺は悪くないんです。
塔マニアの私としても、ここの三重塔はどこに出しても恥ずかしくないものだと思っています。
親父の命日の頃は、毎年紅葉がいい感じなのですが、今年は夏が暑すぎたせいなのか、色づきがイマイチな感じです。
私と同世代の前の住職が急逝してしまい、うちの息子と同い年の若き住職がこの日の法要を執り仕切ってくれます。
若いけれど、私は、この青年住職が嫌いではありません。
お経を読み、我々に焼香を促し、やがて法話が始まります。
祖父が亡くなり、すぐに父が亡くなってしまい、住職をしていますが、悟りのさの字も解っていないと言いながら、先日、永平寺で経験して来たことを平易な言葉で話してくれます。
そのスタンスがいい。
その法話を聴きながら、私はその住職が書いてくれた塔婆をぼんやり見ていました。
称名忌
きっと十三回忌のことをそう言うんだろうなあと思っていました。
あとで調べてみると、
十三回忌 故人が亡くなった12年後で、「称名忌(しょうみょうき)」とも呼ばれます。 “称名”は仏の名前を唱える念仏のことで、故人が念仏を唱えられる存在になったことを意味します。 こちらは、12年経って干支がひと回りした節目の法要です。
と書いてあります。
そうか、あれから干支がひと回りしたのか。
自分は、何も為してはいないけれど、学生だった子供たちは就職をして結婚までしちゃって、とうとう娘のところには可愛い生き物まで誕生したんだから、それなりの年月が経ったということなのでしょうね。
それにしても、あの不粋だった親父は、念仏なんか唱えられるようになったんでしょうかね。
お墓にお参りをしてから、法事の後席です。
場所は、こんな時には間違いのない木◯路。
その間違いのない木曽◯も、この日はてんてこ舞いだったらしく親父の為の陰膳が用意されていません。
「あのー、陰膳をお願いしてあったんですが…」
「あっ!」
っと言った時の、仲居さんの顔が、厨房の中は戦争なんだろうなあということを教えてくれました。
まあ、いいんです。
でもね、あの親父なら、
「けっ、俺の分はねえのかよ。
それで、皆さんは楽しく飲み食いですか。
いいご身分ですね」
くらいのことは言いそうです。
お父さん、お怒りはごもっともですが、そこはグッと堪えて小言念仏でも唱えていてくださいな。
今月の大きな行事がふたつ終わりました。
正直、ホッとしました。