自分の命を投げ打って誰かを救おうとした人々の10のストーリー
自らの命を投げ打ってでも、誰かを救おうとする人がいる。それはまさに危機に瀕している状況の時である。
人はそんな時、思いもよらぬパワーと勇気を発揮するようだ。
ここでは自らの命を投げうって、他の誰かを救おうとした人々と1匹の犬の10のストーリーである。
ジョン・ロバート・フォックス(アメリカ)
米国陸軍中尉のジョン・ロバート・フォックスは、第二次世界大戦の最中、イタリアのソンモコロニアの町で、ドイツ軍の前進を阻むための砲兵射撃を行っていたところ、巨大なドイツ軍の脅威が迫りつつあった。フォックスは自分が盾になり、最後の砲撃をするよう命令した。味方が体制を立て直した時、フォックスの遺体は、およそ100人のドイツ人部隊の遺体のそばで見つかった。29歳だった。
ヴィンセント・コールマン(カナダ)
カナダのノヴァスコシア州ハリファックス港で、爆薬を積んだフランス船モンブラン号が他国船と衝突して爆発、炎上し、激しい爆風で現場は大混乱となった。爆発のあった桟橋付近の駅にいた、列車の運行管理者のヴィンセント・コールマン(45)は、現場に留まって近くを運行する列車に停止するよう警告した。これにより停車した列車の乗客らは難を逃れたが、体を張って列車を止めたコールマンは、二次爆発により命を落とした。
アーランド・ウィリアムズ(アメリカ)
1982年1月13日、吹雪のさなか、エアフロリダ90がワシントンDCの凍った湖に墜落し、6人の乗客以外は全員亡くなった。20分後、生存者を救助するためにヘリが到着した。ひとりの男性を救助した後、ヘリはアーノルド・ウィリアムズに向かって救命浮輪を投げた。だが、彼はすぐにそばの乗客にそれを譲った。
ヘリが三度目に戻ってきた時も、ウィリアムズは同じことをした。そして四度目も・・・最後にヘリがやって来た時、ウィリアムズの姿はとうとう見えなくなった、彼は見ず知らずの他人を救う為、最後の力を振り絞り、そこで息絶えていったのだ。
ロシアの科学者たち
ドイツ軍によるレニングラードの包囲戦で、おびただしい数のロシア人が餓死した。食べられるものがそばにあった者はわずか12人。彼らはパブロフスクの種子銀行の科学者たちだったが、彼らもまた飢えで衰弱し、持ち場で死んでいった。ピーナッツの専門家アレクサンダー・ストチュキンも、自分や仲間たちの命を救えるはずの大量の食物をそのまま残して、自分の仕事場で死んだ。ロシアの未来の世代が確実に食べられるようにと、餓死する方を選んだのだ。
リチャード・レスコラ(アメリカ)
911の攻撃の時、リチャード・レスコラは大勢の人を避難させるのに尽力した。モルガンスタンレー社の警備部門の重役として、会社の入っているビルの安全を強く願っていた彼は、年に二度、社員の避難訓練を実施していた。隣のタワーが攻撃された時、彼は行動に移り、死ぬ直前まで冷静に人々を避難誘導していた。レスコラの行動は、2500人以上の人の命を救ったと考えられている。
ローレンス・オーツ(イギリス)
イギリスのロバート・スコット率いる南極探検隊の一員だったオーツは、1910年、テラ・ノヴァ号に乗り込み南極点を目指した。オーツは過酷な任務によりひどい凍傷を負っていた。思うように歩けず、このままでは進行に支障をきたしてしまうと思い、自分を置いていくよう頼んだが、聞き入れてもらえなかった。そしてあの伝説となった最後の言葉を発した。
「ちょっと外にでてくるよ、しばらくの間ね。」
彼はブーツも履かず、安全なテントを後にして氷点下40度の世界へ消えていって、二度と戻ってくることはなかった。1912年3月16日、彼の誕生日の前日の出来事だった。残念なことに、目標まであと数マイルというところで仲間たちも寒さに倒れ、オーツの犠牲は報われることはなかった。
ライアン・アーノルド(アメリカ)
兄弟の絆というものは時として強く、お互いを守ろうと思う強い気持ちは、理屈では説明のつかないものがある。ライアン・アーノルドは、兄のチャドに肝臓移植が必要になった時、どうしても助けたいと思った。すぐに自分の肝臓が使えるかどうか調べ、ドナーとして適合することがわかると、移植を進めた。しかし、すべての手術に危険はつきものだ。ライアンは移植中に命を落とした。彼の究極の犠牲のおかげで、兄は確実に生きられることになったのだ。
タケシ・ミウラとミキ・エンドウ(日本)
2011年、大地震による大津波が、日本に甚大な被害をもたらした。南三陸町の職員である遠藤未希さん、三浦たけしさんは、大きな津波が起こった時、最後まで災害対策室に残り、町の人々に避難を呼び掛け続けた。ふたりの最後の言葉が町の人々を救ったのだ。
4人の司祭(アメリカ)
1943年2月、中尉のジョージ・フォックス、アレクサンダー・グーデ、ジョン・ワシントン、クラーク・ポーリングは、軍隊輸送船ドーチェスター号に乗っていた。彼らはそれぞれ宗派の違う牧師、司祭たちだった。船が敵の潜水艦の魚雷に攻撃された時、4人はすぐに協力して救命胴衣を乗員に渡し、誘導し始めた。救命胴衣がなくなってしまうと、自分たちのものを渡した。船が沈み始めた時、4人は腕を組んで歌を歌い始めた。彼らは神のもとへと仲良く旅立っていった。
名もない犬
犬は自己犠牲という言葉を知らない。尽くすという行為がどんなものかも知らない。本能で感じ取り、すぐさま行動しているだけである。かけがえのないものとずっと共に暮らしていけるように。
死んでしまいたいと思っていたあるひとりのカザフスタン人の男が、酒を飲んで線路に横たわった。彼の飼い犬はそこが危険な場所であることを知っていた。全力で押したり、引いたりして、酔いつぶれている飼い主を線路から安全な場所へ移動させようとした。だが悲しいことに、この犬は列車に轢かれて亡くなってしまった。
人として(プラス1)。
いざという時、勇気ある行動ができますか?
この点に関しては、日本人は凄いと思います。
前に、テキサス親父の動画でもご紹介しましたけど。
被災地では、いつの時代も、こういう光景が見られたようですね。
私ですか??
さて???
そういう事態になってみないと、分かりません (^_^;)
では (*^ー゚)/~~
1月31日の天気 晴れ 最高気温 15.5℃ 最低気温 -0.9℃
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