赤壁の戦い。
三国志前半の山場ですね。
この戦いで曹操は、中国統一から大きく後退します。
映画では曹操軍、80万とか言ってますけど、実際には20万程度だったようです。
それでも当時としては、かなりの大軍ですよね。
現在赤壁とされる場所には、岸壁に大きく“赤壁”と大書されています ^_^;
実際には、正確な場所は分からないらしいですけどね。
曹操軍が船をつなげるのは、三国演義では、龐統の策とされています。
連環の計と言います。
王允が、董卓と呂布に仕掛けた計略と同じ名前。
この計で董卓は呂布と決別し、曹操は船を燃やされます。
圧倒的不利を覆すために、縁起をかついで同じ名前にしたのかな?
曹操が火計を仕掛ける前に風向きが変わる。
ご都合主義のようですけど、実際、風向きは変わり、曹操は大敗しました。
ホント、事実は小説より奇なりですよね。。。
演義では曹操撤退後すぐに、呉vs蜀で、城の取り合いが始まります。
これに負けた周瑜は、「天はなぜ同じ時代に孔明を遣わされたのか?」と嘆いて、命を縮めたとされています。
その周瑜の後を継ぐことになるのが、若き陸遜。
蜀を滅ぼす影の立役者。
周瑜が生きていれば、陸遜は出てこなかったかも知れない。
めぐる因果なのですよ。
まあ、そのおかげで陸遜は、悲惨な最期をたどることになるのですが・・・
野にいたほうが幸せなこともあるのです。
なんかとりとめのない話になりましたけど、最後に一つ。
劇中で曹操が頭が痛いと言っていましたが、お茶のせいではありません。
この時曹操は、脳腫瘍を患っていたようです。
何年かして、それが原因で曹操は亡くなります。
その前に、関羽も死にます。
英雄たちの黄昏の始まり。。。
時代は、(西)晋へと変わっていきます。