松の廊下、刃傷事件3 間違いの孫引き | 忠臣蔵 の なぞとき

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 浅野内匠頭が、吉良上野介を斬りつけた。


 学習院大学の大石慎三郎教授は、「歴史読本」臨時増刊、1992年冬号(新人物往来社)の38~45ページに、「綱吉政権下の元禄事件」という記事を寄稿しています。

 そのなかで大石氏は「松の廊下刃傷事件」について、この事件にもっとも近い時間に記されたとされる関係記録は、『易水連袂録』であるとしています。


 で、同史料に書かれたこととして次のような文を書いているのです。


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そろそろ勅答の儀式が始まるというので、一同が緊張のあまり何となくざわめいているところ、

浅野内匠頭(長矩)がどんな理由があるのか場所も弁えず、

高家衆がつめている柳之間で、吉良上野介(義央)殿と何か少し荒々しい言葉で言いあっていた。

やがて上野介は二十四~五間ある柳之間の廊下を小走りに逃げてゆき、

医師の間のところにある大杉戸を開けて中に入ろうとするところを、おっかけてきた内匠頭が、後から抜打ちに小さ刀で切りつけた。

上野介は当日烏帽子をつけていたので、刀は右の小鬢の後をかすった。

驚いて振り向いたところをまた切りつけたが、また烏帽子にあたり、切先がはずれて畳に切りこんでしまった。

二カ所とも軽傷だったので命に別状はなかった。(39ページ)

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※大石氏の文は縦書きで改行なしに書かれているため、ネットの横書きでは読みにくい。そこで、私が改行を行いました。改行以外は、大石氏による文章のとおり。


 大石氏は、上記を根拠として次のように述べています。

「これで判るように事件があったのは松の廊下ではなくて、それよりも中庭をへだてて一つ玄関寄りにある柳之間廊下の医師溜の前あたりである」(39~40ページ)


 大石氏は『易水連袂録』に書かれたことが正しいと決めつけていますが、同書には矛盾するところがいくつもあって、しかも大石氏が現代語で書いた上記の文章は、原文とずいぶん違うのです。


 原文にそって書き直すと、


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 三月十四日、陰天(曇り)、今日将軍が勅答を仰せになるとのことで、公家衆が登城した。

 浅野内匠頭と伊達左京も登城。吉良上野介、大友近江守いずれも柳の間に待機していた。

公家衆が白書院に伺っているときだろうか、まもなく勅答があるというので緊張しているところに、内匠頭は何を思ったのか殿中をも憚らず、柳の間にて上野介と何やら言葉荒々しげに声をあげていた。

とつぜん上野介は柳の間を立ち、二十四~五間ある廊下を小走りに逃げて送者の間に取りついたところの大杉戸を押し開いてなかに入ろうとしたところを内匠頭が追い詰め、上野介を逃がすまいと後から短刀で抜き打ちにした。

この日、上野介の装束に烏帽子をつけていたため、小髷を後に掛け切り付けただけ。上野介が振り向く所をまた一太刀切り付けたけれど、切っ先は烏帽子の端に辺り、畳に切り込んだ。二ケ所とも軽傷だったので命を落とすということはなかった。

少し離れた側にいた梶川與惣兵衛頼知という者が飛んできて、内匠頭を後より抱きすくめ、軽率なことをなされるなと……



【原文】

三月十四日、陰天。今日将軍家勅答仰出サルヽニ付テ公家衆登城アリ、浅野内匠頭、伊達左京相共ニ登城アリ、吉良上野介、大友近江守等何レモ柳ノ間ニ相詰ラル時、公家衆御白書院ニ伺候有シカ、追付勅答トテヒシメク所ニ、内匠頭イカナル意趣ノ有ケルニヤ、殿中ヲモ憚ス、彼ノ柳ノ間ニテ上野介ト何ヤラコトハアラアラシク聞エシカ、頓テ上野介柳ノ間ヲ立、同二十四五間有廊下ツヽキ小走リニ逃行、送者之間エ取付所ニ〆隔ノ大杉戸ヲ押ヒラキ、既ニ内ニ入ントセシ所ヲ、内匠頭續テ追詰、ウシロヨリ上野逃サシト短刀ヲ拔討ニウチカケシカハ、上野其日装束ニテ、烏帽子ヲ著シ申サレシ故、小髷ヲ後ロ掛切付、振向所ヲ亦一太刀切申サレシカ、烏帽子ヨリ切ナカシ、切先ハツレニ當リ、畳ニ切込、二ヶ所トモニ薄手ナリケレハ、命ノサハハナカリケル、遥力側ニ居ケル梶川輿惣兵衛頼知ト云者飛来リテ、内匠頭ヲ後ヨリ懐スクメ、卒爾ナシタマフへカラスト

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 大石氏は、側用人・柳沢吉保の『楽只堂年録』と浅野内匠頭の刃傷を制した梶川與惣兵衛の日記(丁未日記)に書いてあることについて、


「基本的には『易水連袂録』の記事と一致するとして良いであろう」


 建築構造がわかっていないから、こうなるのです。


 前にもいくつか指摘しましたが、『易水連袂録』は名前の間違いが多い。梶川の「頼知」も間違っています。名前以外にも「?」はいくつもあるし、著者もよくわからなければ刊行年も・・・。


 文字数制限のため今回はここまでとしますが、作家の井沢元彦氏は大石慎三郎氏の本を丸ごと信じて『逆説の日本史』に長々引用しています。


 つづく