“まま”でいる。 | cyukkyのブログ

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ずーーーーっと自分と向き合ってきて。
たくさんのことを、人から教わってもきた。
すごく助けられて、私はここまできたよ。
でもね、時にそれは私を窮屈にさせてた。
信じられる人の言葉だからこそ、そこに自分を当てはめて、でも実はその行為が自分を歪めてることもあった。

尊敬し、この人だ、と自分の中の真実に触れる人の言葉だからこその行為。その人の言うことが自分の素直な気持ちとずれていると、オートマで修正にかかった。私より、彼らの言葉だった。

今からこれから私がするのは、素直な自分の気持ちや感情をそのままで在ること。あまりにひどいものだと、 そのままに在るのが怖いしなんかとんでもない方向に墜ちていくのではないかと不安だったのだ。

だけど、そこを中途半端にしてきたことで行くべき方向に進まず立ち往生している感じになっている。

尊敬する彼等への憤りもある、それは私が私を蔑ろにしたから。彼等への憤りを感じる時、私は私に注を入れようとする、『私の勘違いだったんだけど』とか『彼等の意図するところは違っていて私がそう捉えたんだけど』とか。でも、それも要らない。そんな注は、真っ直ぐに出せないから。

いつの間にか自分の考えにしてしまっているもの。真実に感じて、そこに自分が当てはまらないと、自分を偽る。ほんの小さなことも、瞬時にやっている。苦しい、それは…。でも、“まま”にいることは、勇気が要ることもある。“まま”は時に、ものすごく孤独だし世界を敵に回しているような 気持ちになることもある。
もちろんその時は、その気持ちを感じる。

だけどもうホントに、
誰かの言葉じゃなくて、自分自分。
私が何を感じているかだから。
もっと私に興味を持とうよ。
もっと私に興味を目を向けようよ。
“まま”の先にあるもの。
“まま”が連れていってくれるその先の景色を見たい。