marieclaire korea 2024年3月号 | 寝ても醒めてもチョ・ジョンソク

寝ても醒めてもチョ・ジョンソク

ほぼジョンソク、ときどきK活、たまーにあれこれ

 
許す気持ちで、その許しは他人に対するものでもありますが、自分自身に対する許しかもしれないと思います。
 
私は最近「Midnight Radio」を歌う時、ヘドウィックが一番かっこいいんですよ」
 
8年の時間を渡ってきた俳優のチョ・ジョンソクが再びヘッドウィックになって歌う歌。
 

 

シャツとタイ、ジャケット、パンツ、シューズ全部Alexander McQueen。
 

 

トップス、ジャンパーBally

 

トップとジャンパーともにBally、パンツGolden Goose、シューズDolce&Gabbana
 


最初のカット撮影の時に「Wig in a Box」を低く口ずさんだんですよ。近くで聞きながら、今日豪強する撮影なんだと思いました。
 
小さく口ずさんでみました。(笑)公演があまり残ってなくて。最後の<ヘドウィック>公演が8年前ですが、また練習しながら鮮明に記憶される部分があります。「そう、そう、こうだった」と言いながら。
 
2006年の初舞台以来、2008年、2011年、2016年に続いて5番目のシーズンです。20代に 始まって 40代で 出会う <ヘドウィック> という 作品は、 人物は どう 違って 近づいてくるんですか?
 
何よりも体力的な変化を感じそうです。(笑) 体力的な 変化は 確かに 感じています。(笑)同時にその間8歳になったからといって、人物に対する感じが違って近づいてくる部分があります。ヘドウィックという人をもう少し理解できるような感じというか。以前は ヘッドウィックを ちゃんと 演じるという 目標に 急いだとしたら、 今は ヘッドウィックという 人を 完全に 受け入れている 気がします。俳優だから、もしかしたら当たり前の話かもしれませんが、練習する過程でふと、ふと以前より私がもっとヘドウィックになって彼の話を伝えているという感じを受ける時があります
 
どの特定の場面でそんな感じを受けるんですか?
 
多分<ヘドウィック>が好きな方は、大きな事件やシーンを写真のように思い浮かべると思います。ところが、今の私には、思いもよらない状況でフックして近づいてくるものがあります。例えば「私の人生の序幕を開いてあげる時、一編詠んであげます」とバンドにサインをあげると、ピアノでBGMを軽く敷くシーンがあります。突然この部分でかっとするとか、全州だけ出ただけなのにセリフができないくらい感情が大きく上がってくることもあります。これは練習ごとに変わりますが、このような新しくて驚くべき経験が私の中に少しずつ溜まっています。第5シーズンだから見慣れないキャラクターなのに、見慣れない瞬間に遭遇しています。だから面白いですし。舞台で私がどうやって公演するか、公演する時、私がどんな気持ちなのか気になります。
 
長い時間ヘドウィックを延期したにもかかわらず、これまで以上にヘドウィックに近づいているという話に聞こえます。
 
そうです。私は必ずヘッドウィックになるよ。舞台の上で彼の悲しみや痛み、苦悩などの様々な感情を必ずよく見せてあげる。必ずそうならなきゃ」という気持ちではありません。でも、今のこの態度こそ、以前よりヘドウィックをもっと深く理解できる方法ではないかと思います。8年という時間が結構長い時間ではあるじゃないですか。その時間の間、チョ・ジョンソクとして生きてきたチョ・ジョンソクがヘドゥイクにまた会ったのですが、通り過ぎた私の痕跡がこれからの舞台で少しずつ発現されるんじゃないかという期待をしています。チョ・ジョンソクという俳優の体を借りて代わりに話を聞かせることですから。シーズンごとに私がヘッドウィックにどうやって会うのか少しずつ変わっていますが、その点が本当に不思議です。ヘッドウィックはそのままだけど、私はずっと変わるじゃないですか。



 

シャツとジャケットともにDries Van Noten

 

 

トップとジャンパーともにBally、パンツGolden Goose、シューズDolce&Gabbana

 


今から18年前の<ヘドウィック>の初舞台を、27歳だった自分をどう覚えていますか?
 
釜山で初公演をした記憶があります。釜山公演を皮切りにソウルに上がってきて、SHクラブという、250席の小劇場で公演をしたんですよ。釜山で初舞台に上がる前夜、すっかり眠れなくて大変でした。結局眠れなくて公演をどうしたのか思い出せないくらい。2006年の私の初めての<ヘドウィック>公演は最高のコンディションではなかったということ。その記憶は確かです。(笑)
 
<くるみ割り人形>でデビュー後、<グリース ><ナンセンス><壁をくぐる男><スプリング・ア・ウェイクニング><ヘドウィック>など舞台の上で長い時間演じました。多分、若い観客たちはチョ・ジョンソク俳優が舞台で演技を始めたのか分からないかもしれません。舞台から出発して映像媒体に席を移した多くの俳優たちがまた舞台に立ちたいと言っていますが、簡単なことではないですよね。チョ・ジョンソク俳優にとって舞台はどんなところですか?
 
舞台はいつも大切で懐かしいところです。いい作品を探して迷っても、いつでも立ちたいし、走って来たいところです。俳優が一瞬も離してはいけない、見逃してはいけないところだし、舞台の上でならいつも生きて呼吸していなければなりませんね。その上で私たちだけの世界が広がるじゃないですか。私の呼吸も、一緒にいる観客も、毎日の公演が全部違って新しいですよね。公演が終わった後は、同僚たちと集まって、その日の公演についてお酒を飲みながら話し合い、慰められて、どんなミスをしたら明日挽回しなければならないという勇気も得ます。今まで舞台の内と外で積んだいい思い出がたくさんあります。だから<ヘドウィック>に対する感謝も大きいです。こんなに魅力的で愛着のある作品に出会うのは簡単じゃないんですよ。長い間一つの作品に出演できるように心を導いてくれたのがありがたいですね。
 
舞台で得る俳優の喜びは恐怖と比例しそうです。舞台に上がって、今日体調が良くないと了解を求めることもできないし、NGもありません。どこにも言い訳できない演技をやり遂げなければならない舞台演技の特性が俳優を訓練させ、成長させたと思います。さらに俳優の人生に影響を与えたんじゃないかと思います。どうですか?
 
昔は完璧な演技について悩んだりしました。普通7~8週間かけて公演の練習をするんですよ。一緒に和を合わせる相手の俳優たちとの呼吸や事前に約束した装置的な要素を見逃してはいけないけど、最近は自分自身に少し有害でなければならないんじゃないか、寛大でなければならないんじゃないかという考えをたくさん考えます。作品と 同僚の 俳優たちに 被害に ならない 線で。それこそ舞台で本当に生きているのではないでしょうか?なんで私たちが話す時に辿ることもあるし、興奮して言葉が出ないこともあるじゃないですか。考えを整理するために言おうとしていた言葉をしばらく止める時もありますし。ところが、こんな姿が舞台でしたら、まるで俳優がセリフを忘れたように見えるかもしれませんね。でも、たとえ誰が見ても確実なミスだとしても、私自身はそのミスを容認できる余裕を持っていなければならないんじゃないか、それが舞台で生きているのではないかという考えが最近になって聞きます。



 

シャツとジャケット、タイ全部Alexander McQueen

 


私を許そうとする気持ちは他人にそのまま転移することもあるじゃないですか。
 
信じがたいでしょうけど...私は許しが本当に上手です。(一同 笑) 結構 寛大な方です。真剣に 怒ることも ほとんど ないです。ある時は誰がそうなの。それがもっと怖いみたいだって、むしろ怒れって。他の人が見た時は怒らなきゃいけない状況だったみたいです。でも怒ってこそ怒る....
 
可能な...仕事ですか?
 
寛大で余裕を持たなければならないと誓うより、無意識のうちにそうする気がします。小さい頃からそうだったみたいです。なんで根拠のない自信があるじゃないですか。幼い頃、テコンドーをやってたっけ?(笑) 誰かを 憎んだり、 妬んだり 嫉妬したりも なかったです。でも競争はすごく激しくする子。何かご存知ですよね?
 
ただ私との戦い。
 
そうです。そうです。
 
過去<ヘドウィック>シーズンごとにしたインタビューを探して読んでみましたが、一番愛情のあるナンバーとして「Tear Me Down」を主に挙げたんですよ。2024年の最愛ナンバーはどんな曲ですか?つまらない質問ですが、同じ質問を20年余りかけてすると、それなりの意味があるようです。(笑)
 
今は「Midnight Radio」です。私たちがさっき寛大さの話をしたじゃないですか。ヘドウィックもそんな寛大な気持ちを持ってほしいって言ってあげたいです。許す 気持ちで、 その 許しは 他人に対する ことでも ありますが、 自分自身に対する 許しかもしれないと 思います。私は最近「Midnight Radio」を歌う時、ヘドウィックの姿が一番かっこいいんですよ。
 
デビュー20周年です。数字というのがどっしりとした重さで近づいてくる時もあるけど、またある日は本当に大したことないように感じることもあるそうです。この2つの感情が同時に入る時もあると思いますし。どうですか?
 
年数で20年で、だけでは19年....(笑) 奇特だと言ってあげたいです。誰でもそうだけど、特に大変な時期があったんじゃないですよ。その時間を私がどんな力で持ちこたえて乗り越えたのか振り返ってみると、その動力はひたすら創作から来る楽しみだったようです。与えられたテキストを元にした人物を演じること、セリフを吐いて体を動かすのは、結局私は人を通して創作をやり遂げることじゃないですか。その創作の作業がいつも面白くて幸せでした。時には 演技を 神聖で、 高貴に 考えたことがあります。でも、こういう真剣なアプローチは、ある瞬間、私を変な壁に閉じ込めたりもするみたいです。幸い私は演技を遊びのように始めました。楽しい気持ちで演技に取り組んだということ、演技による幸せや喜び、満足感が動力になったということ、前向きな考えで耐えて乗り越えて、今この時間まで来たというのが奇特なことです。大変だけど、パクパクと乗り越えるんじゃなくて。褒めてあげたいです。まだ20年しか経ってないけど。

 

 

ジャケット、トップ全部 Givenchy

 


さっき 話しましたが、 俳優という ことは 結局 自分の 体が 材料なわけですね。国は材料をどう使いたいですか?
 
ある大事な瞬間に味をものすごく出す材料であってほしいです。MSGじゃなくて。コチュジャンチゲの唐辛子の粉や味噌チゲの味噌でもないし、牛骨スープみたいな?構成陣の材料になったらどうかな。俳優が年を取って、その年齢にふさわしい役割を一つずつやりながら人生を生きていくのがすごい福だと思うんですよ。私が今年四十四だから、来年は四十五、6年後には五十...こんな気がするんです。構成ジンの味が私にあれば、私がそんな味を出す材料になればいいんじゃないでしょうか。
 
構成陣の味と深い味は違うんですよね?
 
そうですね。深い味はちょっと、すごく真剣じゃないですか。構成されたのは何かちょっと...「えーへーイ!、へーへーイ!」する。何かご存知ですよね?
 
最後の質問します。ずっと俳優として生きていくために、俳優のチョ・ジョンソクがずっと持っていなければならないこと、取るべきことは何だと思いますか?
 
減らさなければならないのは強迫観念。誰でも隙間があってミスできるという気持ち、自分自身に対する若干の寛大さを持てるように強迫観念を和らげなければならないと思いますし。持って行かなきゃいけないのは責任感ですよね。百回、 千回を 話しても 足りない、 重要な 徳目だと 思います。俳優として作品と役割に対する責任感、そして人間としての責任感。人間 調整席の 柵の中で 持っていくべき 責任感までも 含めて。
 
俳優たちがよくそんなこと言うじゃないですか。「いい人がいい俳優になる」この言葉に同意しますか?
 
完全に同意する人です。それならこの言葉にも同意するでしょう。あまり良くない人は、あまり良くない俳優にしかならない。だからといって、私がいい人なのか、あまり良くない人なのかよくわかりませんが。(笑)とてもとても悪くて悪い人ではないようです。