遥か彼方の目標や夢と、自分の現在地の距離を見つめたとき、ふと「自分の人生って一体何なんだろう?」と思ってしまうことってありますよね。

 

ナウフェルの回顧は、そんな地点から始まっているような気がしました。

 

自己嫌悪すら忘れてしまったような。

 

ダメな自分に慣れてしまった彼。

 

ちょっとイライラしました。

 

努力が報われるかどうかは、環境に起因するとも言われています。

 

「東京都同上塔」でも、似たような話がされます。

 

だけど、僕は

 

努力は必ず報われる。 もし報われない努力があるのならば、それはまだ努力と呼べない。 

 

という王貞治さんの言葉が好きです。

 

前時代的?

 

いやいや。

 

これは、目標に対する作業の設定の話だと思います。

 

これを達成するには、これくらいの努力(作業)が必要だ。

 

という見通し。

 

小さい目標と、小さい努力を重ねて、【報われる】をたくさん積み重ねて、ついに到達するという考え方なんじゃないかなと思います。

 

ただ、そこに努力ではどうにもできない壁は必ず現れる。

 

【運】【才能】【環境】ですね。

 

物語の主人公は、このうち【環境】だけを持っていない気がします。

 

だから、観客は主人公に共感し、応援できる。

 

ただ、主人公が類まれな才能を発揮したときもまた、主人公に置いていかれることもありますよね。

 

「なんだ、結局彼には才能と運があった。私とは違った・・・」と。

 

主人公の「成長」の描き方って、とても難しいです。

 

2度目のピザの時のガブリエルの反応には、安心しました。

 

そうだよね。

 

短絡的に行き過ぎで、踏み込みすぎですよね。

 

身勝手だし。

 

だから、僕はナウフェルを全然応援できずにこの作品を観ていました。

 

何なら、「早く気づいてくれ!」と思いながら。

 

「共感」が物語の全てではありません。

 

ただ、共感は没入に直結するとも思います。

 

この作品は、結構「客観的」に観られたなと思うのです。

 

環境も、考え方も、明らかに自分とは違うから。

 

そこに、同情が入るかどうか。

 

僕はあまり、キャラクターに同情はしません。

 

なんか「可哀想」「なんとかしてあげたい」と思うのって違うかもなと思ったりもするんです。

 

そういう観方を否定しているわけじゃないです。

 

僕は、そういう風にあまり作品を観れない。

 

俳優だからなんでしょうか?

 

これは、不思議な感覚ですね。

 

ただ、新しい形の「自分探し」は、とても興味深かったです。

 

一貫している世界観、観客との付かず離れずも素敵。

 

表現したいものが、はっきりとあって、ちゃんと信念もって作っているってことが良く分かりました。

 

完了