しばらく売り切れになっていて、取り寄せに時間がかかっておりましたが、ようやく。

 

いろーんな人が「俺だってAIに本を書かせたりしてた!」って言うかもしれません。

 

そういう時に、「早すぎた」って言い方をすることもありますが、僕は、ただ単に「知名度がなかった」「クオリティが1番じゃなかった」と思うようにしています。

 

早すぎたアイデアは、僕もたくさんもっていたし、実現してきた。

 

だけど、同時期に同じアイデアを形にした人は、きっとものすごい数がいるし、その中で知名度がある人がまず先陣を切り、さらに、その中でもものすごいクオリティを出した人が、これを機に世に出る。

 

そう。

 

そういうものなんです。

 

だから、知名度を蓄えるのと、最高のクオリティを目指す。

 

この両方を見据えながら生きていくわけですね。

 

これからも。

 

茨かよとも思うけど、そうでなくっちゃとも思う。

 

 

と、話がそれました。

 

記者会見では九段さん自らが「生成AIを駆使して作った」と語り、話題になった本作。(全体の5%程度にAIの文章をそのまま使用したと仰っていましたね。)

 

色んな声がありますよね。

 

AIって、AIという人格じゃない所が難しいですよね。

 

ディープラーニングであらゆるものをインプットしたうえで、何かを生成するとなると、「先人たちの知恵」すべてが詰まっているとも言える。

 

でAIはまんべんなく学んでいるけど、人間は限界があるよね。

 

だから人間の表現には個性や魅力があるよねって言うのが、今の生成AIと人間の付き合い方のように思えます。

 

で、九段さんがAIに「小説を1本書いてちょ」と言って出来上がったのが本作と言うわけじゃないので、結局九段さんがAIと対話をしながら取捨選択をした本作は、九段さんの作品なんじゃないかなぁと思うのです。

 

これから、どこまで行っても。

 

AIが書きたいと思って、自発的に書き出さない限りは。

 

で、本作ではAIがAIらしい文章を書いている。

 

それが欲しくて、九段さんは生成AIを使ったわけですが、何も知らない人は、まったく別のことを想像しますよね。

 

だからこそ、何も知らないのに何かを語るべきではないのですが・・・。

 

僕は、この作品の導入がすごく好きです。

 

めんんんっどくせぇ!!

 

と言われてしまうような考え方。

 

だけど、活躍し、独自の表現を持っているクリエイターの多くは、みんなこういう、得も言われぬストレスを抱えているんですよね。

 

俳優で言えば、「何も考えずただセリフをしゃべっているだけ」の人には分からない苦悩。

 

痛みがあるから描けたというのは、明智とおる先生の言葉ですね。

 

痛いからこそ。

 

しっくりこないからこそ。

 

表現できる。

 

逃げてはだめだ。

 

完了