若いころの苦労を、作品にしている人は多いですよね。

 

映画や歌。

 

300円くらいの料理を二人で分けたとか、コーヒー一杯でずっと語り合ったとか。

 

これさ、とてもリアルかつ、美しい描写なんだけど、やっぱり・・・迷惑ですよね(笑)

 

コーヒー一杯で何時間も居座る客に迷惑かけられた側の歌はないですもんね。

 

「いや、青春の1ページなんだから、許したれよ」って思う。

 

だけど、この店のマスターの気持ちになった場合ですよ。

 

大体ね、こういう店のマスターは映画の中では、ニコニコして「頑張れよ」って言ってくれる。

 

言ってみれば、趣味でやってる人。

 

じゃないと、主人公が悪者に見えちゃうから。

 

だってね、毎日席をとって、コーヒー1杯で閉店までいられたら、商売あがったりですよね。

 

それが1組ならいいけど、何組いるか分からないし。

 

また次の年もそういう連中が現れるわけで、マスターにとっては、ずーーーっとなんですよ。

 

歌の主人公には、せいぜい1年とかでも。

 

主人公は、今ではもうお金も持って、いい暮らししてるかもしれないけど、あの時、数百円で浪費したマスターの時間と、お店の光熱費と、うんたらかんたらの責任って後からとってます?って。

 

(これは、僕がそういう考え方の人間と言うわけではなく、考えるのが楽しくてやっているので、悪しからず。)

 

僕もね、若いころ、稽古終わりによく飲みに行っていたこじんまりしたお店があったんです。

 

そこのマスターは気のいい人で、僕らが役者を目指していることも知っていて、応援してくれて、いつも安いメニューを出してくれて、夜が更けると、コンビニでポテチとか買ってきてくれたり・・・本出した時なんかは飾ってくれたりしていたんですが、今はお店は閉店してしまっているんです。

 

電話もお店の番号しか知らず、どういう理由で閉店したかは分からないのですが、「役者で食えるようになったし、あのお店でちゃんと豪遊するぞ!」って、恩返しのつもりで行こうとしたら、もう店はない。

 

悲しかったですね。

 

僕らみたいなのがいっぱいいて、そのせいで店が潰れちゃったんじゃないかと思いました。

 

絶対にそうじゃないとは言い切れないから。

 

で、この「恩返し」ってめっちゃ難しくないですか?

 

例えば、学生街にある、学生が通うお店。

 

「学生さんに安い金額で、お腹いっぱい食べて欲しい」

 

この店に、大人になってからは、行けないですよね。

 

学生さんたちでごった返しているだろうし、高いメニューもない。

 

今行ったところで、邪魔になるし、店主は「学生」に食べて欲しい。

 

売り上げに貢献っていうのはムズイ。

 

だけど、お店はずっとギリギリの経営を続けているかもしれない。

 

お金を渡すのも嫌らしいですよね。

 

過去に、「20%引きで食べさせてた」みたいな明確な数字があるなら、「差額をお支払いに来ました」って言えるけど。

 

「食べて応援」がプラスにならない場合もある。

 

本人たちが「もうやりたくない」以外でピンチの時に、手を差し伸べる。

 

これじゃないかなって思っています。

 

結局金銭的支援になっちゃうかもしれないんですが、そのためには、通わなくなっても【気にかけておく】ことが大切なんじゃないかなと思います。

 

何か困っている時に、手を貸せる。

 

お世話になった人間が多ければ、やっぱりそういうお店を【気にかけている】人は多いと思うのです。

 

未来のお金はないけどお腹いっぱい食べたい人の為に、あの頃お腹いっぱい食べさせてもらった我々は、いつでも人肌脱げるようにしていますんで!!

 

そこんとこよろしく!

 

でも、一番偉いのは、お店の方!!

 

ずっとだもんね。

 

これずっと言ってるけど。

 

ずっとって、並大抵じゃない。


お金がないころにお世話になっていた定食屋やファミレスに行く際は、なるべく高めのすぐ出そうな料理を頼んで、ちゃっと食べてちゃっと出るようにしています。


行かなくなることが成長とも思ったけども。

 

完了