卑劣な行為について、よく考えます。

 

力を持つと、そうなってしまうのか、そもそものその人の性質なのか?

 

これは決して【誰しもが踏み外しかねない道】ではないと思います。

 

自分がそうなるのか・・・と考えると、やっぱり「気持ち悪いな」と思うのです。

 

そんなことして何の意味があるのだろう、何が楽しいのだろうと。

 

 

しかし、「無自覚な環境型セクハラ」となると・・・。

 

劇団で、リスペクトトレーニングを行い、環境型セクハラについて学びました。

 

男性だからと、普通に稽古場で着替えたりしていましたが、確かにそうですよね。

 

その他にも何気ない言動が、きっと相手を傷つけてしまっていたなぁと反省しきりでした。

 

番組やインタビュー、作品のノリみたいなので特に気にしていなかったこともありました。

 

その場を成立させるため、ウケる為に必死だった時代は、あまり深く物事を考えていなかったように思えます。

 

世の中がそうだったと言ってしまえばそれまでですが、そんな中でも違和感を感じた人たちが声を上げ続けてくれたおかげで、僕らも気づくことができ、学ぶことができています。

 

やはりアップデートは必要。

 

明確な基準ができたのだから。

 

【無自覚】というものがあるのだからこそ、学んで、気づいて、変えていかなければ。

 

だからこそ、「自分からすすんでやる人」は理解できません。

 

自信があるんでしょうか。

 

お金?地位?ステータス?容姿?

 

さらに言えば「断れないだろう」「告発できないだろう」というのは、卑怯だよね。

 

何より「許されてきた」ことが、さらに行為を助長したわけですよね。

 

自分は無敵だと、何をしても許されると勘違いしてしまう。

 

また勝手な議論も交わされますよね。

 

「何故断らなかった?」とか。

 

いやぁ、断れないように持って行くんでしょ。

 

一番悪いのは誰でしょう。

 

まず、「暴力」を行う人間を減らさなければならない。

 

けど、全て「密室」で行われてしまう。

 

そうなると、危うきに近づかないことも必要。

 

だけど、それってどこで判断するんだろう?

 

僕は、知らない人のいる飲み会には顔を出さない。

 

異業種交流みたいなのも好きじゃない。

 

明らかに胡散臭い飲み会もある。

 

「好きじゃない」から、別にいかないことが「我慢」「機会損失」にもならない。

 

飲み会で仕事をとるのも苦手だし。

 

だけど、社会的地位のある人が主催していて、何かしらのチャンスがあるかも・・・。

 

って顔を出す人も多いのは事実。

 

でもさ、そう考えると、そういう会(もちろん一部だけど)、の目的って・・・?

 

それは考えすぎかもしれませんが、考えすぎて、慎重になりすぎて困ることはないと思います。

 

お金をだまし取られることもある。

 

「以前、バラエティに出るために100万出したら本当に出れちゃった」みたいな企画がありましたよね。

 

あれは本当に怖いなと思いました。

 

たった1件でも前例が出来てしまったから。

 

「もしかしたら、そういう企画かもしれない。」って思っちゃう人も出てくる。

 

チャンスを掴まなければいけない世界。

 

それは、オーディションだけではなく、誰かが自分を見つけてくれるパターンもある。

 

だけど、その対価は「表現」でなければいけない。

 

これは、求める側も当然のこととして。

 

いい映画を観ました。

 

完了