お芝居のチケットは誰が売るのか?

 

僕らの世界では、よく議論になります。

 

製作だろ。

 

役者だろ。

 

それぞれの主張があるのですが、僕は基本的に作品に携わる以上、その責任は【全ての人】にあるんだと思います。

 

責任という言い方はまた別かもしれませんが、「売らなくていい人」はいないということ。

 

どちらかに押し付けるものではない。

 

「自分は実力でキャスティングされてるんだから、作品に十分貢献している」的な主張もあります。

 

でも、もっと実力があって、チケットを売れる人はごまんといる。

 

なので、結局【その人より実力もなく、チケットも売れない人】ということになってしまう。

 

というか、真の実力者たちは、やっぱり「観たい!」と思わせる。

 

だから、チケットが売れないはずはない。

 

だから、この妄言を言って生き残った人を僕はみたことがない。

(誰かの子分をやってれば別なんだけど)

 

自分の価値っていうのは、常に正常に、相対的に判断しなければならない。

 

「ぼかぁ、趣味でやってるんで、道を追求してるんで、そういうお金とかじゃないんですよ」という主張。

 

だったら、ショービジネスの世界に足を踏み入れるな。

 

金を借りに来るな。

 

安易に「奢れ」というな。

 

とも思う。


「たくさん働いてるから稼いでるでしょ」


君に貸すためじゃない。


自分の研鑽のために使っている。


家族に何かあったときのために、残している。


そして、今年の頭に思ったが、義援金だってそうだ。


お金にある程度余裕がなければ「助け合う」輪にも入れない。


それでも、何故かエンタメ業界の人がお金を稼ぐことをよく思っていない人は多い。


武士は食わねど高楊枝でいろという。


この話はまた今度。


話は戻るが、武士は食わねど高楊枝なら、徹底してほしい。

 

永遠のテーマのようで、とっくに答えが出ていると思うのだ。

 

我々は、その努力もしなければならない。

 

いつまでも、「チケット売れなくてすみません、へへ・・・」じゃないのだ。

 

恐ろしいことに、上手くなるために何かを習慣づけている俳優は少ない。

(というより、自称俳優か)

 

チケットを売るために、日ごろから何かをしている俳優はもっと少ない。

 

チケットを売る努力をしないという行為は、じわじわと自分の首を絞め、いずれは大好きな演劇から、はじき出されることになってしまう。

 

なので、僕はしつこく告知する。

 

この世界にいつまでもいたいから。

 

「斯くして」

 

どうぞ、観に来てください。

 

完了