本番が終わると、毎回「からっぽ」になるので、インプットが捗ります。
稽古中はやっぱりどうしても時間が上手く作れない。
特に「ピエタ」は稽古時間がめっちゃくちゃ長かったので(笑)
さて、今回は「ラブリー・ボーン」
あらすじを見てしまうと、冒頭が「事件が起きるまで」になってしまい、とても見ていて苦しいです。
ここに書いてしまったら、私たちも同じ気持ちで冒頭を観ることになってしまうじゃないか!
とお思いでしょう。
いや、これはネタバレではないのです。
ちゃんと、映画内でも明言される。
なので、許してください。
作品自体が、冒頭の幸せな時間を「そう」観させたいのだと思います。
シアーシャ・ローナンはこの作品で、たくさんの賞を受賞しましたね。
わかる。
超わかる。
これは僕の勝手な印象ですが、海外の作品の方が、若者の苦悩と言うか・・・その一歩手前の自意識のようなものの描き方が多彩な気がします。
また、演じ方も。
これはきっと、自分が体験していない海外のことだからそう感じるのかもしれません。
ある意味リアルじゃないから。
僕のいた社会に「プロム」はなかったし。
「あー、あるある」とは思いづらい。
けど、「きっとそうなんだ」と思いを馳せることで、作品に入り込みやすくなる。
こちらから迎えに行けるというか。
そして、スタンリー・トゥッチはやっぱり素晴らしい。
いつも「こうなりたい」をくれる。
俳優としてですよ、もちろん。
彼もとてつもない「実在感」を持って役を演じられる俳優さんだと思います。
いたら困るのよ、こんなヤツ。
でも、生きてきた歴史が滲み出ている。
彼も本作でたくさんの賞を受賞しています。
彼のラストは何故ああしたのでしょう?
ものすごくたくさんの選択肢があったでしょう。
復讐は何も生まない。
他の登場人物を誰も悪者にしたくないから?
そんな気がしました。