木皿泉さんの作品は「セクシーボイスアンドロボ」に出演している私です。

 

まだまだ駆け出しの頃、作品内のドラマに出演していたのですが、当時確かドラマの内容と現実の事件が重なってしまい、放送がお蔵入りになってしまったのをよく覚えています。

 

つい先日もそんなことがありましたね。

 

そんな、得も言われぬ思い出を、一方的に持っている、木皿さん作品。

 

 

―まるでテレビドラマの段取り芝居のように

 

 

という一文に、なんというか、この方々の強さを感じました。

 

作家は、監督や演出家を兼ねないことが多い。

 

その方がいいことも多い。

 

だけど、きっと、色々と思うこともあったのだろう。

 

基本的に「ない」ということはないと思っている。

 

でも、この言葉は決して復讐ではない。

 

この作品に必要なセンテンスなのだ。

 

僕が勝手に感じているだけかもしれない。

 

いや、むしろ全くそんなこと思っていないかもしれない。

 

だけど、この言葉を自分の作品に書ける強さ。

 

優先すべきは、自分の表現だ。

 

今、思いついたこの言葉こそ、最善の表現なのだ。

 

いつからか、「どこで誰が聞いているか、見ているか分からない時代」になってしまいました。

 

読解力の無い人も、気軽に発言できるようになり、文章の意図も分からずに、むやみやたらに騒ぎ立てる。

 

「あいつこんなこと言ってましたよ」

 

と。

 

「ドラマの脚本書いてるのに、ドラマのことを貶めるようなこと書いていいんですか?」と言い出すヤツは必ずいる。

 

違うんだよ!

 

これは、この作品の中のキャラクターが思っていることなんだよ。

 

作家の思想とは別なんだ。

 

 

本編もとても良かったです。

 

色んな角度から、色々な人が、いろんな関わり合いを知らず知らずのうちに持ちながら、大切な人の「死」を受け入れる。

 

一筋縄ではいかないかもしれないし、ほんの小さなきっかけなのかもしれない。

 

そして、我々読者は、いつの間にか心が回復している。

 

全快に。

 

これが、「物語」だって言うんだから、すごいですよね。

 

人間の描き方。

 

そうか、この人達は実在しないのか。

 

あんなに魅力的でリアルな人たちが。

 

それがすごく不思議。

 

 

完了