ここ2年くらいで出した結論。
『俳優と言えど誰しもが高い意識で仕事に向き合っているわけではない。だけど、「仕事」である以上、無理をする必要はなく、それぞれのスタンスで向き合うべきである。』
結論といいつつ、上手く言語化できていないのですが、人生において、「仕事」と「プライベート」ってありますよね。
このブログを読んでいる皆さんだって、就労時間が終われば、そこからは自分の時間。
趣味を楽しむために仕事を頑張っている人も多いです。
仕事が好きじゃない人も多いです。
働きたくないでござるっていう剣心の画像って今の人達知ってるんでしょうか?
究極言ってしまうと、「仕事」は「仕事」でしかないんです。
労働。
だけど、我々俳優ってちょっと…いや、かなり「好きで始めた職業でしょ?」みたいなイメージを持たれますよね。
僕は、完全にそうなのですが、この世界に長いこといて感じたのは、「そうじゃない人もいる」ということ。
・元々俳優になるつもりなんてなかったけど、スカウトされて・・・。
(スカウトでも恐ろしくストイックな人もたくさいんます)
・やりたかった仕事だけど、思っていたのと違った。
・タレント志望なのに、事務所に仕事を入れられた。
・チヤホヤされたいから始めたわけで、別に努力をするつもりはない。
・実力者ばかりの本気の現場で勝負するのが怖い。
・そもそも気づけていない。
理由は様々ですが、俳優と言う職業に「人生をかけるほどではない」と思っている人はたくさんいます。
正直言うと、かなりムカついていた時期もありました。
そんな意識で、そんな本の読み込みで、よく板の上に、カメラの前に立つなぁと。
今がゼロってわけじゃないけど💦
気にするなと言われても、それは作品全体のクオリティに影響を及ぼします。
だけど、
これって「仕事」なんだよな。
とも思ったのです。
稽古、リハーサル、本番の時間以外は、本来はプライベートの時間であって、それを使ってレッスンを受けたりインプットをしたり、自主練をしたり・・・。
それって「当たり前」じゃないんですよね。
残業なんです。
だけど、今は「俳優を育ててくれない」時代です。
限られた時間の中で、作品を作り上げなければいけない。
そんな中で、新人に懇切丁寧に1から演技を教えてくれる演出家はかなり減りました。
動きをつけて、言い方を指導して、それっぽく見せてとりあえず凌がざるを得ない。
出来るようになるのを待っていたら幕が開かない・・・。
しかし、演出家≠演技指導。
本来演出家は演技の指導をする立場にはありません。
プロの世界ですから、本来ならば稽古に参加するまでにある程度の実力を身につけておくのもマナーではあります。
受け身ではだめなのです。
演劇の教科書はたくさん出版されてるし、ワークショップもレッスンも、門戸は開かれている。
でも、レッスンのお金はどこが出してくれるの?
自分です。
その時間はどうやって捻出するの?
自分でです。
それを「当たり前」と言ってしまうのは、結構な暴論だなぁと思ったのです。
僕は「下手のままでいる」ことや「理解できない」状態でいることが耐えられないので、それこそ必死で残業しています。
そのお陰で出会えた作品はたくさんありますし、見ることのできた景色はたくさんあります。
それに、僕なんか足元にも及ばないほどの研鑽を未だ続けられている先輩方もたくさんいます。
「仕事だからちゃんとやれ」と言うこともできるかもしれませんが、「仕事だからちゃんとやらなければいけない理由」っていったい何なんでしょうか?
お金をもらっているから。
では、残業代の出ない僕たちは何なんでしょうか?
もちろんこれまでとこれからの積み重ねが、自分の価値を決めることになるので、次第にギャラが上がり、最終的には回収できると思います。
いや、おつりがくると僕は思っています。
ただ、このバランスが絶妙に取りづらい時期って言うのはとっても長いのだと痛感もしています。
これは、もしかしたら、すべての仕事に言えることなのかもしれません。
俳優という職業に限定されたことではない。
自分の時間を使うことを「犠牲」と考えるか。
それとも、その時間すら夢中でいられるのか。
危機感かもしれない。
「優しい世界」は、見放した人間に、手を差し伸べないと思うのです。
だけど、努力は人に押し付けるものではない。
プロになりたい。
仕事にしたい。
そう思って、直走り、プロになって、11年。
今は少し気持ちが変わっています。
仕事以上、趣味以上の何か。
僕にとって、演劇をそういうものにしていきたい。