ヒッチコック映画の大半は、子供時代に観ました。
「あぁ、だからこの人こんな風になっちゃったんだ・・・」
じゃないんです。
当時はほとんど理解できていなかったと思います。
父親がよく映画を借りてきて、テレビも1個しかないわけですから、必然的にいろんな映画を「観させられていた」わけです。
いつも思っているんですが、ワークショップや、専門学校での講義で、よく取り上げられる「名作」って、どんどん増えていくわけだから、若ければ若いほど【観なきゃいけない作品】は増えて、不利ですよね。
これからの人ほど「基礎知識」が膨大になっていくのは、ちょっとズルいなと思ったこともあります。
でも、日本映画界が黒澤映画を「観なくていい」という日は訪れないし、シェイクスピアの作品がこの世から消えることもないと思います。
名作が多く生み出され、さらにそんな中でもずっと輝き続ける作品が多いこの世界で、小さいころから理解こそできなかったけど、映画を多く観れていたのはよかったなと思っています。
クイズでも出されない限り、なーんとなく話を合わせることができるから。
まぁ、でもこうして再度観ることにはなるんだけど。
さて、何故再びサイコを観たかと言うと、先日読んだ塩田監督の「映画術」の中で解説されていたからなんです。
今でこそ、作品を分析する目が少なからず培われてきたと思いますが、当時はヒッチコックが、ノーマンを「鳥」に見せていたなんてまったく気が付きませんでした。
また、人間を物質的にみていたであろうことも。
言われてみれば「あぁ!」と気が付く。
人が作っているものだから、やっぱりそこに意図があると、とてつもない感動を覚えますよね。
「あとは勝手に考えて~」
「実は深い作品なんで、考察してくださ~い」
っていう無責任さがない作品が僕はとっても好きです。