「劣等感」の漫画として紹介されました。
触りの部分は全くそんなことを感じさせずに進んで行くのですが、後半に訪れる展開は、構えていてもなかなか苦しいものがあります。
あれは、「悪意」とはまた違う「狡さ」であり、誰しも持っている部分。
正々堂々と生きたくても、自分の信念が全く通せなくなることもある。
この漫画を読んで、思うところは人それぞれだけど、多くの人が同じような自己嫌悪を抱えながら生きているのだなと、僕は安心しました。
梅雨のジメジメしてた時分、「劣等感」について、とても考えておりました。
自己肯定感と対極にある言葉のように思えますが、自己肯定感を高めるというのは、この劣等感を無くしていくことなんじゃないかなとも思います。
あくまで僕の所感ですが。
僕たちは、人前に立つ仕事をしています。
名前が売れれば売れるほど、ちょっとした一言の言葉尻を捕らえられ、意地悪な人に作られた「炎上」に巻き込まれることがあります。
近年の俳優は、なかなか【ビッグマウス】が好まれません。
スポーツ選手のように、スコアが出ないので、実力で示すということがなかなかできない。
実力を判断する目を持っていない人も多ければ、実力だけが全ての世界でもない。
みんなとても謙虚さを求められます。
それが、「〇〇役を『演じさせて頂きます』」という、めっちゃ言いづらい挨拶を産んだのかもしれないなと思います。
僕は、台本に記載がない限りは、「〇〇役の」とか「〇〇を演じます」という挨拶をしています。
噛みたくないし、そこまで下から言わなくてもいいと思うのです。
役を演じるということは、役に対して責任を持つということなので、それをちゃんと宣言しなければいけないのではないかなと思うのです。
ちゃんと頑張ります!
という意味でも、僕は「演じさせて頂く」という言葉はあまり使いません。
だけど、「先代」がいて役を受け継ぐということもあります。
先代への敬意をこめて、「演じさせて頂く」というのはとってもいいことだと思います。
歴史上の人物、実在の人物などでも使っていいと思います。
なので、ケースバイケース。
よく「便利な言葉」という言い方を僕はしますが、「こういうときはみんなこう言っているから」と意味を込めずに言葉を吐くと、自分の伝えたい想いがしっかりと伝わらない気がしてなりません。
オリジナル作品で使うと、「一体どういうことなんだろう?」とも思っちゃいます。
お客様に対して「演じさせて頂く?」
もちろん、我々はお客様からチケット代を頂き、舞台を観てもらっています。
ですが、あくまで僕らも「体験」を売っているわけで、ワークショップに来て演技を見てもらっているわけでもないんです。
プロとして、ちゃんとお客様に満足してもらえるものを提供することを目指すならば、やはりそこは「対等」でいいんじゃないかと思うのです。
お客様だって「あの、ちょっと稽古が足りなくて・・・今日体調悪くて、それでも見て頂けます?だったら、演じさせて頂きますんで。」って言われたら嫌じゃないかなぁと思います。
せっかく貴重な人生の時間を使って観に来てくださるんだから、中身で勝負しようよと。
だからと言って、俳優が偉そうじゃダメなんですけどね。
でも、そうやって無理やり下に潜り込む必要もないんじゃないかと思うんです。
演じさせて頂くならば、お客様に届けるためにしていることは、全て、させて頂かなければいかんとも思います。
ストレッチさせて頂き、発声させて頂き、資料を読ませて頂き、休みの日は趣味でリフレッシュさせて頂き・・・。
大きく考えれば、チケット代で「生活させて頂いている」んだけども!
でもさ!
批判を躱すためのものではいけないと思うのです。
特に最近思います。
それは、実体験から。
ありがたいことに、色々な作品に出演させて頂いております。
まだまだ役は小さいです。
だけど、言うんです。
「この作品に参加できて光栄です!」って。
もちろんそうなんですよ。
だけど、そればっかり言っていたら、いつの間にか劣等感がすごく溜まってきてしまったように思えるのです。
台本を貰って「あれ?俺、出番これだけ?」って思うことは決して悪いことじゃないと思うんです。
贅沢言うな!
これだけの人たちと共演できているんだぞ!
もちろん!
それは、すんごい嬉しい!
毎日ワクワクしますよ。
だけど、それだけの方々を間近にしながらも、業界内の地位は遥かに低いことを痛感させられるんです。
努力不足もあるでしょう。
だけども、これでも寝る間を惜しんで人の数倍やってきた自負はある。
その悔しさを押し込めるために「光栄です!」を使うのはよくないと思うようになりました。
悔しいよ。
いつだって、俺はまだここなのかって。
こんなにも評価が低いのかと。
「もうできない!」と楽屋に籠る権利もない(笑)
で、劣等感が貯まると、思考が悪い方向へ働いてしまうと思うんですよ。
「もっと早く始めればよかった」「事務所の力があーだこーだ」「生まれついた顔がどーの」「あいつより俺の方がはるかに上手いのに」「プロデューサーに見る目がない」etc...
この世界が嫌になって辞めていった人たちは、みんなこんなような捨て台詞を吐いて去っていきました。
ふざけんな!
自分の責任を押し付けるんじゃない!
とドラマや映画ではなるかもしれませんが、悲しいかな全て本当のことでもあります。
自分だけの問題じゃないこともたくさんある。
誰かのせいにしたいけど、誰のせいでもない。
プロとして俳優をやるということを理解できないと置いていかれる。
システムを憎んでも、そんなにすぐ変わるわけじゃない。
どんなに努力しても届かないのではないかと思うこともある。
劣等感は常にまとわりついてくる。
だけど、それは誰しもが持っているものであり、やっぱり支配されてはいけないと思うんです。
大作と呼ばれるものに関わらせて頂く時は、同時に「やっとここまでこれたか」とも思うわけです。
今までやってきたことが評価されたからこそ、入り口に立たせてもらっている。
「もったいない」と思わせればいい。
僕は、悔しさが原動力。
あんまりギラギラしててもよくないかなと思った時期もありました。
だけど、そうしないと劣等感に食い殺される。
負けてたまるか。