何かを学ぼうと思ったら、どんなやり方でも入り口でもいいと思います。
自分が「学ぼう」「変わろう」とすることが大切だとまずは思います。
で、そこから「学び方」を自分なりに見つけていければいい。
変われないことは悪ではありません。
最初っから自分に満足していれば、学ぶ必要も変わる必要もないから。
それで、いくら他人に迷惑をかけようが、ミスをしようが、自分は全く気にならないというスタンスであれば。
まったく迷惑かけてないよ。
と思うこともありますが、これは絶対かけてると思うんですよ。
そこの自覚がまず成長の第一歩だとも思います。
こういう言い方をすると、他人に迷惑をかけたくないから勉強しているように思われてしまうかもしれませんが、全体の3割くらいはそういう部分もあります。
これは、年齢を重ねれば重ねる程、笑って許してもらえます。
ここ1年くらいでとてもそれを感じました。
ああ、またやってるよ。
で済ませるということは、もう当人との未来はまったく想像していないんだなと。
でも、横のつながりで、いつまでも誰かにもたれ掛かりながら、許してもらいながら、生きていくこともできる。
悪い意味での【お互い様】で。
僕はまだまだ未熟なため、よく色々な注意を受けます。
と、いうか注意してくれる先輩や仕事上の仲間がたくさんいます。
だから都度反省し、「もう二度と同じミスは起こさない」と決めて、前に進みます。
いつまでも些細なミスを繰り返す自分がとことん嫌になり、器用になろうとして10年近くかかってようやく「器用」な括りの端っこの方には入れてもらえるようになりました。
言ってみれば、自分の性質が分かれば、対策も取りやすいですからね。
転ばぬ先の杖をどれくらい用意できるかというのが、さらに次のステージに進む段階で必要になってくるのかなと考えています。
そして、事ある毎に言っていますが、ぼくは「こうなりたい」と思った人を徹底的に観察して分析します。
「だからこの人は素晴らしいのか」と。
そして、自分なりのやり方で、その人のイズムを取り入れてきました。
稽古場での佇まい、準備段階、そして所作・・・etc.
お陰様で素晴らしい俳優さんたちに出会え、たくさん学んできました。
やはり近くで見て、お話を伺ってということで、血となり骨となり、深く学ばせて頂いたなと思っております。
そして、一番大切なのは、【僕の周囲の人が凄いのであって、僕が凄いわけじゃない】ということ。
素晴らしい作品に関わらせてもらうことが増えました。
それはもちろん今までの自分の努力を認めて貰えた証なのかもしれませんが、勘違いしてはいけない。
絶対に同等なんかじゃないんだから。
常に、挑戦者の気持ちでなければ。
そして、そんな今だからこそ・・・。
読んでみようと思い立ちました。
もうちょっと前だったら、きっと理解ができなかったと思います。
今だったら、理解して実践できるかもしれない。
役者は一日にしてならず。
そんなことは百も承知で、もっともっと果てしなくなって、絶望するかもしれませんが、読んでみようと思います。
凄く怖いけど、いつかは絶対そこに行くと決めているから。