僕は、変われる人を尊敬します。
めちゃくちゃ意地悪だった先輩が、心を入れ替え優しくなったとき、「今までのこと忘れてないからな!」と思うよりも、この人が変われたことに感動するタイプです。
僕も、日々過去の愚かさを悔い、変わっていかなければと思いながら過ごしています。
尊敬する先人たちが変わることで、「お前も変われるぞ」と示してくれているから。
どうしても、引っ込みのつかないことってのはあると思います。
変わることが恥ずかしいと感じる気持ちもわかります。
ですが、やっぱり変わらなければいけないと思うし、変わることって言うのは正常なんだと思います。
昔は「こうだ!」と言っていた人が、今は全く別の主張をしたりすると、「昔はこういってたくせに!」と糾弾されたりしますが、それって、その人がアップデートされたってだけのことだと思います。
で、変わり続けることができる人って、きっと無意識のうちにアップデートがされているから、昔の主張を覚えていなかったり・・・。
「昔はこういう主張だったけど・・・」って前置きをできるといいなって思いますよね。
僕もなるべくそういう話し方をするように心がけているのですが、そのすべてを把握できてはいません。
さて、今日はこんな本を買いましたよというお話です。
かなりショッキングなタイトルですよね。
先ほどまで【変わる】ということを、ポジティブな意味で使っていましたが、当然ネガティブな【変わる】もあります。
皆さんの近くにもいませんか?
変わってしまった人。
事実を捻じ曲げてしまうほどの被害妄想・執拗な他者攻撃などは、個人の性格とは関係のないものではないだろうかと思ったんです。
そういうネガティブな変化がなぜ起きるのか、とても気になっています。
ちょっと前に話題になりましたね。
読まれた方も多いと思います。
何を言っても通用しない。
そうなると、真っ向からぶつかっても決していい結果を生まないだろう。
「あんたそんな人じゃなかったじゃないか!」「昔の俺の大好きだったあんたに戻ってくれよ!」なんて直接伝えても、ただ反発されるだけ。
つい最近、とってもお世話になった人が変わってしまって、ずっと悩んでおりました。
いや、今でも悩んでおります。
で、思ったんです。
これは、考え方が変わったとかではないんじゃないかと。
もしかしたら、何かしらの心の病を患ってしまったのではないかと。
素人がどうこうできる問題でないとしたら、今度はいかにプロに介入してもらうか、僕らはどう接したらいいのか。
諦めて離れていった人も多いです。
自分もそうなる未来が見えてしまうときもあります。
ただ、やっぱり諦めたくはないなと。
もちろん取り越し苦労で、僕の考えすぎならいいのですが。
そして、念のため、自分が「変わってしまった」のかもしれないという検証も続けつつ・・・。
皆さんによい報告ができるよう、がむばりますね。