大丈夫。
届いています。
皆さんのこえ
「お前、これ以上毒もってどうするんだ!?やめとけ!!」
って。
大丈夫。
安心してください。
まだまだ足りないぞと、毒をプラスしたくて読んでるわけじゃないから
自分の毒素には物足りなくなっていませんし、これでも徐々に減らしていってるんですよ(笑)
かねてより、弱者に寄り添えと言う先輩の教えを実践している僕ですが、弱者に寄り添うためには、強者と戦わなければなりません
(弱いものを貶める人のことを強者と言っていいのかどうかは一旦置いておいて)
そのためには、ある程度の毒も必要になる。
毒を以て毒を制す。
ピシャリと、端的に、短く効果のある言葉を選ばなければなりません。
本当はそんな人もひっくるめて救えればいいのですが、どうにもまだまだやり方が上手くないし、彼らはとても頑固で、尚且つ自分が弱者を貶めていることに気づけない。
オブラートの厚みってもんの凄く難しい
回りくどすぎて伝わらなかったり、なんだか矛先を自分に向ける結果になっちゃったり。
イジメを注意したばっかりにイジメられちゃう。
面倒なヤツ扱いされちゃうみたいなのは恐らくこのブログを読んでくれている人の大多数は経験があるんじゃないでしょうか?
そしてやはり未だに日本社会に根深い同調圧力。
出くわすと笑っちゃうんですよね。
ふっる!!って。
自分の通常の業務ではないもの。
サービス残業。
休憩を削ってまでやっておけといわれる仕事。
明らかに過多なもの。
「え?みんなやってるのにやらないの?」と言われると「え?まだそんなこと言ってるの?」と思う。
もちろん、気持ちよくやるときだってある。
基本的にはやる方だ。
でも、行為に甘えられている、当たり前のようにそれを強いてくると感じたときには僕は絶対に手を出さない。
どんな嫌味を言われようとも。
(あとは、嘘やいじめにつながるものには絶対に加担しないと決めている。大勢の前で誰かに恥をかかせることにも。)
だけども、僕も20代の頃は「みんなやってるんだからやんなさい」側でした
リーダーシップに欠けていたと思います。
漠然とした「集団とはそういうもの」という考えにとらわれていた。
いろんなことを経験して、学んで、傷つけて傷ついて、今のスタンスにたどり着いたんだと思います。
気づかせてくれた人もたくさんいました
だからこそ、気づいてもらうことが大事なんだと思います。
僕は、気づいて、反省して、ものすごい自己嫌悪に駆られました。
未熟だったと言う言葉で済ませてはいけないとも思っています。
会う機会がある人には「あの時はごめんな」と伝えるようにしています。
会えない人、連絡の取れない人には、いつか伝わってほしいと、こうやってブログに都度過去の自分の傲慢さを記して、懺悔しています。
気づけば人は変われるのです。
しかも、それってどこかで「植え付けられたもの」だから「もうそれは古い」と気づければ、よっぽどの人でなければ普通はすぐに変われるんです。
「お前には言われたくない」
なんてことも言われちゃうけど、そう言われたら響いてる証拠です。
何か理由をつけたいだけだから。
素直に受け入れられないことを、あなたのせいにしているだけだから。
最近お手紙で、仕事の悩みを書いてくれる方が増えました。
そんなみんなも、職場での立場が変わってきて、上もいて下もいてという僕と同じような環境で仕事をすることになって「自分がした悲しい思いを、後輩にさせたくない!」と思うことが増えてきているようです。
わかるよ!!
その気持ちわかる!!
「こんなこともセクハラって言われちゃうの?」「これじゃパワハラって言われちゃうなぁ、ガハハハハ!」の時代は終わりました。
いや、終わらせるのが僕たちの世代の使命なんじゃないかと思います。
ケースはあちらこちらに溢れている。
定義だってわかりやすくまとめられている。
もう、それぞれフワッとしたものじゃない。
調べればいくらでも出てくる。
ちゃんと学んで見識を広めなければいけないと思う。
極端に言えば、5年後にはもうそういう古い考え方を持っている人は「仕事」ができなくなっているかもしれません。
社会に置いていかれる可能性があります。
現に下の世代は、もっと進んだ感覚を持っています。
だからこそ、違和感を強く感じているだろうし、だけども反論することもできず委縮し、きっと僕らが感じている以上のストレスを受けているに違いありません。
Twitterを見ていると、いろんなことに気づかされます。
もちろん、中には過剰反応もありますが、はたと気づかされること、自分にも思い当たる節のあるものもあって、日々上書きを繰り返して行っています。
だから、「前と言っていることが違うぞ伊藤!」ということも多々あると思いますが、それは考えが「上書き」されたので、以前の僕のことは、都度都度ご容赦ください。
まして僕らは人間を演じるのが仕事。
いつまでも古い感覚で人間を演じるなんて、痛すぎる。
むしろ一番進んでなければいけないのではないでしょうか?
現代の人々の悩み、苦悩に寄り添って演じなければ。
リーダーシップというものは、リーダーだけが学ばなければいけないものではないと思います。
リーダーでない人が学ぶ利点としては、
・冷静な目でリーダーを評価できる
・リーダーの足りない部分をフォローできる
などなどあると思います。
フォローするかどうかは、リーダーの人間性によると思うので、偉そうにまずはリーダーを採点してやりましょう(笑)
先日、クレイジーメーカーと言う言葉を知りました。
クレイジーメーカーの特徴の一部を上げると
契約を破り、スケジュールを無視する
世界が自分の気まぐれに応じることを期待する
あなたのものの見方を無視する
あなたのお金と時間を浪費する
自分が扱う人々を三分割する
非難に長けている
ドラマを生み出すが その責任を取ろうとしない
自分自身以外のスケジュールを嫌う
カオスを愛する
自分がクレイジーメーカーであることを否定する
あなたの周りにもいるでしょう?
リーダーは時としてクレイジーメーカーになってしまうことが多いです。
自分がリーダーであることによって、下の人たちを軽視して、自分の思う通りに動くことが当たり前だと思ってしまう。
そして、周囲も波風を立てない方が利口だと考え、言うことをただただ聞き、怯え、機械的に雑務をこなし、精神を病んでいく。
リーダーがリーダーとして認めてもらう最初の行為を端折っちゃうとよく陥る現象だと思います。
アンガーマネジメントの本を読んだとき、誰もが思う「これをあいつに読ませたい」という気持ち。
なんで俺がそこまでやんなきゃいけないんだ!という気持ちもやっぱりある。
余計なことをして、失敗するのは怖い。
ヘタしたら、自分がやり玉にあげられる。
そんな時にこそ、この岡本太郎先生の言葉は効いてくるわけですよ(笑)
思わぬところで会話が着地して戸惑っている方も多いと思いますが、常に変わろうと思っている人は、人生を停滞させません。
そして、そういう人は僕含めたっくさんいる!
もしかしたら、たまたまあなたの部署に1人もいないだけかもしれないけど、ちょっと視野を広げたら、めちゃくちゃいるはず。
そこで戦う人がいないなら、そこまでの職場。
変えようとする人を除外するならば、先はないし、関わる必要はない。
世の中はどんどんいい方向に進んでいる。
人の心もなんだかんだ変わっていないようで、ちょっとずつ進歩している。
これは、ファクトフルネスを読んで学んだこと。
環境をよくしようと試みることは決して無駄ではないと思います。
辛く苦しい道のりではありますが、僕もいろいろ工夫して、学びながら先に進んで行こうと思うので、引き続きみんなで情報交換しながらがむばっていこうね
みんな、絶対に負けるなよ