いつから舞台上は暴れる場所になったんだろう。

 

こんなことをずっと前から書きたかったんだけど、書こうとするたび誰かがSNSで「暴れてきます!」と書き込んでいて、タイミングを逸してきました。

 

初めに言っておくけど、この記事は「そういうことは辞めよう」とか「それは悪いことだ」「好きじゃない」とかっていう立場を示すものじゃなくて「なんかいつの間にか主流になってて不思議だよね」って思っていることを書いています。

 

他に例を挙げると

 

「演じさせていただく」っていう言い方とか、舞台を観に行って楽屋で写真を撮るとき何故かお互い相手を指し示して紹介するみたいなポーズで撮るとか。

 

まったく不快には感じないんだけど、ルールでもマナーでもないのに「いつからこうなったんだろう?」といつも不思議に思っています。

 

さて、話を戻すのですが、Twitterでよく見る「暴れる」という表現。

 

「初日暴れてきます!」

 

「千秋楽暴れてきます!」

 

「大阪公演暴れてきます!」

 

結構あちこちでみんな暴れる宣言していますよね。

 

この暴れるって、具体的には何をするってことなんでしょう?

 

共演者が「暴れてきます」と書き込むたびに、僕はビクビクしています。

 

だって、稽古場では一度も暴れていない人が、急に人が変わったように舞台上で暴れだしたら怖くないですか?

 

せっかく皆で作ってきたものがあるのに、暴れるなんて。

 

頼むよ、いつも通りでいてくれよ。

 

と思うわけです。

 

 

もちろん比喩表現だって言うのは分かっています。

 

だけど、お客様から見ていて、どうなんですか?

 

「あぁ、あの人言った通り暴れてるなぁ・・・。」

 

って思うの?

 

やっぱりね、「暴れる」ってなんだかんだフワッとしすぎていると思うんですよ。

 

もっと具体的に書かなきゃ。

 

で、書くからにはやっぱりいろんな段取りとか無視して暴れなきゃ。

 

舞台の開幕のニュースとかで見たことあります?

 

「〇〇、宣言通り初日で大暴れ!」

 

みたいなの。

 

事実Twitterに「暴れる」と予告しておいて、幕が開いた瞬間急に覚醒し何かにとりつかれたように、段取りを無視し、文字通り暴れた俳優をみたことはないのです。


結局「暴れる」宣言をした俳優もしっかりと舞台をこなすわけなんです。
 

これは僕のひねくれた性格からくる考えなのだけど「暴れる」からはなんか爆破予告のような威力業務妨害めいたな匂いがしてならないです。

 

だけども「暴れる」と書いた俳優にはそんなつもりは一切ないわけで。

 

でも、年齢性別問わず、舞台俳優がよくする発言で。

 

では、「暴れる」とは一体何なのだろう?

 

ここで僕は、はたと気が付いたのです。

 

稽古場だ。

 

 

 

舞台の稽古は、本番を行う劇場とは別の場所、スタジオ等で行われます。

 

ここは客席のスペースはもちろん必要ないので、舞台面、アクティングエリアさえとれていれば十分。

 

本番の会場が大きい場合、稽古場で実寸が取れない場合も多々あります。

 

言ってしまえば、稽古場には劇場空間よりも若干の閉塞感が伴います。

 

僕なんかは閉所恐怖症なので、窓のない稽古場とか、長時間稽古場にいることはとっても苦手・・・。

 

そんな我々が、稽古場での稽古を終え、舞台装置・音響・照明・衣装・メイクが揃う「劇場」で公演を迎える。

 

つまり、「暴れる」とは「これでのびのびやれる!」ってことなんじゃないでしょうか?

 

孫悟空やピッコロが、重り付きの衣服・アクセアサリーをつけて戦っていたところから解放された「いっちょやってみっか!」的な発言。

 

そして、何より作品を観てくれるお客様が客席にいる。

 

やっぱり、観てくれる人がいるとテンション上がりますよね。

 

作品のよさをダイレクトに届けたいですよね。

 

そんな、状態。

 

それこそが「暴れる」なのではないでしょうか。

 

今日は日曜日。

 

千秋楽。

 

恐らくたくさんの俳優たちがこれから「暴れる」宣言をすると思います。

 

もう、僕もビクビクするのは止めにしようと思います。

 

そして、場合によっては僕も「暴れて」みようと思います。

 

完了