丸山泰右くんが教えてくれた、「ビリーエリオット」そして「リトルダンサー」を観ました。

 

恥ずかしながら、どちらもタイトルは知っていましたが、未見

 

尚且つ、同一作品であることすら知りませんでしたアセアセ

 

まず驚いたのが、この作品の時代設定が1984年だということ。

 

僕の生まれた年ですね。

 

当時はまだこういった考え方が主流だったのか…と思います。

 

でも、色々なことが見直され、多様性が叫ばれるようになったのって、本当にここ数十年のことなんですよね。

 

改めて、時代の転換期を生きているんだなぁと思います。

 

そして、こういう「古い考え方の描写」や「差別的な描写」のある作品は、僕個人的には残しておいてほしいと思っています。

 

【あくまで当時はそうだった】という悪い見本として。

 

もちろん、差別や偏った考え方を助長するような作品は、残す必要はないと思いますが、後世の人が学ぶためには、これ以上の教科書はないと思います。

 

ただ、その判断力がまだこの世界にはないんだなぁとも思います。

 

その作品が、どういう力を持つのか。その意図を汲めない人もいる。

 

残念ながら、かなり多い。

 

冷静に作品を観れば分かるはずなんです。

 

その作品が、差別をどういう視点で捉えているか、これを見た人が「差別」についてどう考えて欲しいのか・・・ちゃんとそこまで道筋が立てられているのに。

 

なんでもかんでもカットすればいいもんじゃないと僕は思います。

 

前にも書いたかもしれないですが、

 

「差別」なんてものが昔はあったんだよ。

 

がいいのか

 

「差別」というものすら知らない方がいいのか。

 

でも、そんな世の中が来たら、後者の中からまた再び差別的な考え方が出て来やしないか僕はとても不安に思います。

 

 

もう数年前のことですが、パワハラで会社をクビになった知り合いがいます。

 

【愛のムチ】と【パワハラ】の線引きは難しいと思います。

 

この人の場合、僕は愛のムチだと思っていましたが、誰かが【パワハラ】だと思う部分があって、それがどういうところか教えてもらえたなら、そこは変えなければいけないし、チャンスだったと思うから。

 

変われなかったのは残念でなりません。

 

別の会社の話ですが、明らかに自分の機嫌で怒鳴り散らし、恫喝をしてきたなぁと思う人でも全然クビにならないものです。

 

難しいです。

 

本当のパワハラを判断できる力がない人が多いから。

 

ですが、先述のクビになった人を最後までかばっていた人が、社内でイジメを受けて、移動させられたという話を聞いたときには「あまりにも腐っている」と強い憤りを覚えました。

 

自分たちの大いなる矛盾に気づいているのだろうか?

 

弱いものが集まって、声をあげる。

 

はい、ここでやっと本編に戻ってきました。

 

ビリーの兄や父は、ストライキ中。

 

多くの声・団結で勝利を勝ち取ろうとします。

 

だけど。

 

だけどです。

 

ビリーはですよ。

 

たった一人で勝利を勝ち取ろうとしているんです。

 

「チーズはどこへ消えた」の中にもありましたが、この作品の中では「炭鉱の出す利益が、炭鉱夫に支払われる給料の額を下回っている」んです。

 

僕は当事者じゃないから、分からないけど、それに全くみんな気が付かなかったのでしょうか?

 

もちろん誰も分からないままある日突然倒産する会社もあります。

 

だけど、じわじわと、どこかで「このままじゃいけない」と言うものが、気配を出しながら忍び寄っていたのではないでしょうか?

 

それを見て見ぬふりしていたんじゃないか?とも思うんです。

 

この作品の言いたいことは、もしかしたらそこにはないかもしれません。

 

ただ、誰かがどうにかしてくれるのを待っていては、先には進めません。

 

文句を言っている時間と言うのはとても勿体ないし、何かを変えたければ、変えられるところに行くのが一番早いです。

 

うじうじと同じ不満を持った人間たちと徒党を組んで、誰かの足を引っ張っている場合じゃありません。

 

この作品を観ながら、何故かそんなことを考えました。

 

舞台版では、ビリーはよく叫び声をあげます。

 

言葉にならない叫び。

 

きっと、どんなセリフも当てはまらない感情なんだと思います。

 

自分を取り巻く環境。

 

たくさんの障壁。

 

そのすべてを「仕方ない」と思えないから、自分に嘘をつけないから、環境のせいにしたくないから叫ぶんだと思います。

 

ストライキをしている炭鉱夫の人たちの言葉がすべて間違っているとは思いません。

 

今日のブログのタイトルにした「生きざまに誇りをもとう」は彼らの言葉。

 

仲間を裏切らない。

 

義理を欠いてはいけない。

 

これだけは揺らいではいけないと思っています。

 

これで失敗した人をたくさんみてきました。

 

だけど、それが理由じゃない。

 

生きざまに誇りを持ちたいからだと思います。

 

そして、ビリーの父親のように、人は変われる。

 

恥ずかしいことではない。

 

意地を張るのはやめよう。

 

生きざまに誇りを持とう。

 

また、舞台版は途中で終わるのがいいですよね。

 

あえて、スタートラインと言う言葉は使いませんでした。

 

とかいいつつも、どっちが好きだったかと聞かれると、僕は映画版を選びます。

 

僕が観たバージョンがそうだったのかもしれないのですが、舞台版は小ネタが多くてなんかちょっと話に入りきれない勿体ないところが多かったように思いましたもやもや

 

小ネタを入れることに躍起になりがちな僕なので、改めて自分も気を付けなければいけないと思うところです真顔

 

あと、海外にも素笑いで笑いを取る手法はあるんですね。

 

ちょっとびっくりびっくり

 

完了