八千草薫さんが亡くなったというニュースが飛び込んできた瞬間。

 

体が震えて動けなくなりました。

 

ただショックで、呆然としました。

 

あふれ出る感謝の気持ちを、まとめられる自身はありませんが、ブログに書かせていただきたいと思います。

 

 

八千草薫さんとは「黄昏」という作品でご一緒させて頂きました。

 

 

最初の本読みでボロボロ泣きました。

 

作品の出演が決まった時からずっとうれしくて、緊張して、自分が自分でないくらい、まったく制御できないくらいにちぐはぐで、追いつけなくて、毎日が勉強で・・・いろいろな思い出がある稽古と本番の中で、一番最初に思い出すのは、最初の本読みです。

 

八千草さんはエセルで、エセルは八千草さんでした。

 

演じる、乗り移る、そういうものとはまったくかけ離れた、あの瞬間をどういう言葉であらわしていいのか、いまだにわかりません。

 

「僕は、今とてつもない方の前にいる」と思うと同時に、エセルの言葉に涙が溢れました。

 

稽古中、僕が、ついつい余計なおせっかいで、「足元にコードあります」とか「ここちょっと滑りやすいです」とかお声がけしたことがあるのですが、八千草さんは「大丈夫よ」と仰って「ひょい」と乗り越えられるのです。

 

登山と犬の散歩で鍛えた健脚で、楽屋の階段の上り下りだって、すいすいと。

 

もちろん、お疲れなのを見せないようにされていたのもあると思います。

 

「黄昏」は八千草さんと村井さんの夫婦のお話。

 

お二人はずっと舞台上におられました。

 

僕は稽古で本当に、足を引っ張っていたと思います。

 

僕だけが、あまりにも力が足りな過ぎた。

 

ですが、八千草さんはいつも優しく接してくださいました。

 

僕のミスを大笑いしてフォローしてくださったこともありました。

 

なんだかいつも申し訳ない気持ちでいっぱいで、情けなくて。

 

それでも僕は力になりたくて、必死でした。

 

逃げ出したかった瞬間もあったけど、僕の出番までのシーンを稽古で、本番で、こんなにも近くの距離で観て、感じることができる。

 

本読みでボロボロ泣いたあの強烈な体験が何だったのか、八千草さんのお芝居のひみつは一体何なんだろうか?

 

少しでも、ほんの少しでも、八千草さんの技術を自分に取り入れられたら・・・そう思いながら毎日毎日、自分の出番まで舞台上を見つめていました。

 

あの時は必死で、苦しくて気が付けませんでしたが、俳優としてこんなにも幸せなことはなかったと思います。

 

当然僕自身がそんなすぐに身につけられるようなものではありませんでしたが、『目指すべきもの』をたくさん教えてくださいました。

 

本当に本当に、たくさんのことを学ばせていただきました。

 

 

また、おちゃめなところもたくさんあって、一度終演後にみんなで食事に行ったとき、僕がオーダーをとることなって、八千草さんに冗談で、「餃子、ニンニク増量できますけど、どうしますか?」なんて聞いたら「ニンニクたっぷりの方がおいしいわよね」とお答えになって。

 

あの時のいたずらっぽい笑顔が今でも忘れられません。

 

村井さんに食事に連れて行ってもらった時も、ずっと「八千草さんってすてきな方ですよね」という話で持ちきりでした。

 

ご一緒して、より一層ファンになったというか、夢中になったというか。

 

ずっとお元気な姿をみていたので、今でも信じられません。

 

「黄昏」から、わずか1年ですが、ゲネプロで頂いたこの写真は、今でも待ち受けにしています。

 

ゴールデンポンドは、今でも僕の大切な場所で、「黄昏」は人生を変えてくれた作品です。

 

 

 

八千草薫さん

 

たくさんのことを学ばせていただきありがとうございました。

 

またご一緒させていただくことを目標にしておりましたが、それが叶わなかったのは、残念でなりません。

 

また、「チャーリー」と呼んで頂きたかった。

 

ご一緒させて頂いた時間は、舞台の副題にもあるとおり【人生最高の輝き】でした。

 

本当に、ありがとうございました。

 

心よりご冥福をお祈りいたします。