カンボジアの物語

このブログでは、カンボジアの物語をお届けします。
カンボジアの方による生の情報をご覧いただけます。
NGO幼い難民を考える会(CYR)の活動地を、

少しでも身近に感じていただければ嬉しいです。

コラムニスト:
サリカーさん、トロセークさん、ロロークさん

翻訳協力:
東京外国語大学カンボジア語専攻

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迷信のはなし

カンボジアの物語-迷信のはなし


私の名前はトロセークといいます。


トロセークは木に穴を開けられるほど

硬いくちばしを持つ鳥、

キツツキで、みなさんによい知らせを運びます。



私ははじめに、毎日の生活を左右していると

依然として信じられているさまざまな迷信について

お話ししようと思います。


急速な科学の発展によってありえないことだと断定されても、

私たちは迷信から離れることができないのです。


子どもの頃、髪の毛がすべて抜け落ちてしまうか、

病気になって死んでしまうまで人間を怖がらせるような

お化けの話を大人からよく聞かされたものです。


夜、モリフクロウが大声で鳴いたり、

屋根の上を飛んだりすると、身の毛がよだち鳥肌が立って、

1人きりでは家の外や裏に出られませんでした。


もしモリフクロウが屋根の上か家の近くを通ったら、

その家に必ず病人か死人が出ると言われています。


田舎では、モリフクロウが家の屋根か

その近くの木にとまったら、おどかして追い払うか、

大声で罵詈雑言をあびせます。


モリフクロウが不幸をもたらし、

死人を出す原因になる悪鳥だと知っているからです。



私の母は、幼い頃、

屋根の上をとぶ火の玉を見たことがあるそうです。

その時、祖父はフランス人と仕事をしていて、

その人がしばらくほかの州で仕事をする間

留守番を頼まれました。


母は伯父とその家の屋根に上って寝ころんで

星を見ていましたが、突然、上空をひと筋の光が

横切っていきました。

伯父は母に、2人で指きりして絶対に離さないように

といいました。


そのひと筋の光は飛び去らず、

ふわふわと行ったり来たりしました。


母は伯父に、すごく怖いから指を解いてしまいたい

と言いましたが、伯父は、「怖がるな、大丈夫だよ」

と言いました。


しばらくして祖父が2人を探しに来たとき、

その光がどこにも飛んでいけないのを見て、


「手を離しなさい。悪さをするのはやめなさい。

こんな夜には火の玉が自分の子どもを連れて

食べ物を探して飛び回っているんだよ」


と言いました。


手を離すや否や、その光はすごいスピードで

飛び去っていったそうです。


翌日、一緒に働いていた親戚の人が祖父に言いました。


「昨晩西の方の村で悪霊が人に憑りついたらしいですよ。

悪霊は、子どもを連れてお供え物を探そうと飛んでいたとき、

人間の子どもが指きりしたので動けなくなってしまい、

もう少しで自分の子どもを落っことして

死なせてしまうところだったんですって」


それはもうひどく怒っていて、おさまりがつかなかったそうです。



村人たちはこぞって頼み込んだらしいですよ、

「お供え物をするからその人の体から悪霊を出してくれ」って

祖父は答えました。

「子連れの火の玉を動けなくしたのはうちの子だよ」


それ以来、母はいくら伯父がまた同じところで遊ぼうと誘っても

2度と行かなかったそうです。


まだこれから引き続きお話ししたい物語がたくさん残っています。




































目のはなし

カンボジアの物語


サリカーです。

今日は目についてお話しようと思います。

 

私たちがものを学び、知ることができるのは

大切な感覚器官である目のおかげです。

子どもの頃、「100回聞いても1回見るのにはかなわない。

でも、100回見ても1回触れるのにはかなわない」と

よく聞かされたものです。


この言葉によって、

老人の目が子どもの目のようにはよく見えなくても、

子どもよりずっとたくさん経験を積んでいるから、

いろいろなことを知っているのだということを

知らず知らずのうちに学んだのでした。


大人は「子どもは犬が交尾するのを見てはいけないよ。

見たらほし目になったり目がはれたりするんだからね」

と言いました。


大きくなると、じっとしていることができず、

いつも目の栄養になるような珍しくて面白いものを探しに

くり出していました。

でも、お酒を飲みすぎると、酔っ払いの目になってしまいます。

  


目は、ものを見る器官というだけではなく、

人間の美しさを表すものでもあります。

カンボジアが今の北朝鮮のような共産主義国だった頃、

カンボジア国民の目は美しいものに飢えていました。

東欧やベトナムから入ってくる映画やビデオは、

誰も見たくないような

レーニン主義普及の一辺倒だったからです。


しかし、カンボジアと友好関係にあったインドが、

大人も子どもも楽しめる映画やビデオを

カンボジアにもたらしてくれました。


当時ボリウッドスター(インド映画のスター)のような

大きくてまんまるの目をしている人は、

たいそう美しく思われて、たいへん気に入られました。

インド人の目は円形の文字にたとえて

「オムの字の目」と呼ばれたものです。



  1993年にUNTACが選挙によって

複数政党型民主主義を実現させてから、

香港、タイ、日本の映画やビデオが

溢れるほどたくさん入ってきて

インドの映画をかき消してしまいました。

すると、中国人や日本人の切れ長の目が受け入れられ、

美しくてセクシーだと感じられるようになったのです。

この目は三日月型の文字にたとえて「エの字の目」と呼ばれ、

さらに目の長さと大きさがつりあっている

カンボジア式の「エの字の目」と、

今にも閉じてしまいそうに細い

タイ式の「エの字の目」の2つに分類されます。


カンボジアでは、自動車の目(ライト)で

新しいシリーズの自動車であることを見分けます。

ニッサン・セフィーロのような「エの字の目」をもつものが


 新しいシリーズで、まんまるのライトをもつ冷戦期の自動車と

区別されています。


ネアック・ターの馬と船の話


私の父はいつも、ふるさとの村や村の人が

ずっと信じてきた信仰の話をしてくれたものです。

父のふるさとでは、ほとんどの人が農業にたずさわっていました。

雨季には、田畑は見渡す限り水に覆われ、

村人は船で移動しなければなりませんでした。

誰かが亡くなると遺体を棺に入れ木のてっぺんに置き、

乾季になってからおろして火葬や埋葬をしました。

年に一回、土地神ネアック・ターをまつる儀式を行いました。

村人や、祠のそばに放牧している牛や水牛を守ってもらうためでした。

牛や水牛がいなくなることはほとんどありませんでした。

泥棒が盗みに来ても沼で迷ってしまい、

そこで追いついて取り戻すことができたのです。


 儀式はたいてい祠の近くの沼のほとりで行い、

楽器を演奏したり、食べ物を供えたりしました。

お祈りとお供えが終わると、

村人はいつもネアック・ターの馬や船を見たがりました。

正しくないことを祈ったり、約束を守らなかったりすると馬や船は現れず、

正しいことを祈れば見ることができたのです。

ネアック・ターの船はその沼に住む大きなワニでした。

でもそのワニは、ネアック・ターが世話していたので、

人を食い殺すようなことはしませんでした。

ネアック・ターが出かける時はそのワニに乗って行ったのでした。

ネアック・ターの馬は一頭の大きなトラでした。

船を見せてもらえる時はワニが岸の木まで這い登ってきました。

子どもたちが怖がると、大人たちは船を持ち帰ってくれるよう頼みました。

そうするとワニは降りて沼の中に消えました。

馬の場合も同じで、トラが祠のところに現れるのでした。

ワニやトラが立ち去るとき、人々は感謝し、音楽を演奏して見送りました。


 しかし、やがて、どんなに音楽を奏でようとも、

ネアック・ターが乗り物を見せることはなくなってきました。

ネアック・ターはある老人に憑依してその口をかり、

邪魔をする人が多いのでここから去ることにする、

と告げたのでした。