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挑戦者たち! Project X みたい
1667 年 輸血の始まり
記録に残っている初めての輸血は、フランスの医師 ドニ (Jean-Baptiste Denis) によるものです。
彼はフランス国王 ルイ 14世の顧問医師も務めたとされてる優秀な医師であり、人体への輸血を研究していました。
初めての輸血 Jean Baptiste Denis
Know Your History のXよりお借りしました。
1667年、彼は子羊の血液を15歳の少年に投与しました。少年は生存し、成功体験を得たドニは、同様に労働者に血液を投与しました。しかしそれ以降、子牛の血液を輸血された 3人目、4人目の患者が死亡したため、以後 1世紀半もの間、輸血は禁止されてしまいました。
彼がヒトではなく子羊・子牛の血液を用いたのは、当時の倫理観によるものとされています。
1827年 輸血による救命例
ロンドン ガイ病院の産婦人科医 ブランデル (James Blundell) は、出産後の出血で死亡する産婦が多いことに悩んでいました。
そこで、彼の患者 10人に 独自に作成した輸血器を用いて輸血を実施し、5人の救命例を得ました。
ブランデルの輸血方法
EPILOGI HPよりお借りしました。
当時、輸血は患者に有害であるとされ、タブー視されていました。実際、成功率は半分であり、完全な成功とは言えませんでしたが、彼の報告は ふたたび欧米諸国で輸血への関心を復活させました。
1900年 ABO 式血液型の発見
オーストリア ウイーン大学の病理学者であったラントシュタイナー (Karl Landsteiner) は、ある人の血清に他の人の赤血球を混合すると、凝集する場合としない場合があることを発見しました。
この凝集の有無により、ヒトには少なくとも三つの血液型 (現在の A, B, O 型) が存在することを発見し、さらに翌年には 現在の AB 型に当たる血液型の発見が追加されました。
この発見により、輸血の死亡事故の主な原因は、これらの「血液型不適合」によるものとする見方が生まれました。血液型を輸血医学に応用する動きが高まり、輸血による死亡事故は激減することになりました。
カール・ラントシュタイナー
TERUMO HPよりお借りしました。
1914年 – 1915年 抗凝固剤の開発
血液型が発見された後も、血液を体外に取り出すと凝固してしまうという問題が未解決でした。しかし、アルゼンチン ブエノスアイレス大学の医学者 アゴーテ (Luis Agote) のグループを始めとして、独立した 3 つのグループから、クエン酸ナトリウムが輸血用の血液の抗凝固剤として利用できることが報告されました。この抗凝固剤を使用することで 血液の保存が可能となり、同年に始まった第一次世界大戦に保存血が使用されました。
アゴーテ (Luis Agote)
DOCMED HPよりお借りしました。
クエン酸ナトリウムを使用した保存血による輸血方法はアゴーテだけでなく、ベルギーのアルベール・ユスタン (Albert Hustin)、アメリカのリチャード・ルーイソン (Richard Lewisohn) が独立して発見していました。これは、終戦後に初めて明らかになります。
アルベール・ユスタン (Albert Hustin)
Maryland Science Center のFacebook よりお借りしました。
リチャード・ルーイソン (Richard Lewisohn)
Science Heroes.comよりお借りしました。
抗凝固剤の発見以前は、腕から腕に「血液が固まる前に急いで輸血する」というものでした。しかし「血液の凝固を防ぐ」発想の 安全な抗凝固剤の登場により、保存した血液を必要なときに輸血できるようになり、輸血の技術は格段に進歩することとなりました。
1937年 血液銀行の設立と血液分離技術の発展
アメリカ シカゴ Cook County 病院のファンタス (Bernard Fantus) は院内に血液銀行を設立し、保存血の製造・供給を開始しました。一回の採血量は 500ml で、保存期間は 10日間だったそうです。この世界初の血液銀行が呼び水となり、大量の血液を保存して供給できる近代輸血方式が確立されるに至りました。その結果、1939年に始まった第二次世界大戦で多くの傷病兵の命が救われました。
ファンタス Bernard M. Fantus
My Hero Stories Scientists HPよりお借りしました。
1940年~ Rh 血液型、HLA 血液型、HPA 血液型の発見
1940年、Rh血液型がラントシュタイナーらの研究グループによって発見されました。これは、1900年に ABO式血液型を発見したのと同じグループによるものです。Rh血液型は赤血球の Rh抗原の有無によるもので、欧米の白人だと15%くらいが Rh (-)とされていますが、 日本人は 0.5%程度が Rh (-) と言われています。
また、1954年には HLA血液型、1959年には HPA血液型がそれぞれ発見されました。HLAは白血球の血液型、HPAは血小板の血液型と言えます。
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輸血 こんな歴史があったのですね。
医者も患者もまさに 挑戦者 だったのですね。
次回は、クエン酸ナトリウムを使用した保存血による輸血方法に関するアメリカのリチャード・ルーイソン (Richard Lewisohn)による発見物語をご紹介します。
それじゃあ、またね。