はい! 奈央です。

 

やってきました。

大津京駅です。

 

 

私の後ろに見えるモニュメントは、時計をモチーフにしたものだそうです。

 

でも、よく見ると、赤いショールの様なものを纏っている人物のようです。

 

 

後で調べてみたら、この像は、時の少女像というんだそうです。

で寒そうなので、どなたか親切な方が毛糸のショールを作って着せてあげたのでしょうね。ニコニコ

 

 

さらにここには、万葉歌碑もありました。

 

「あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る」

                   (額田王
「紫草のにほえる妹を憎くあらば人妻故に我れ恋ひめやも」

                   (大海人皇子

 

 

 額田王(ぬかたのおおきみ)は万葉の代表的歌人で才色兼備の女性とされ、7世紀後半に近江に関係の深い歌を多く残しされています。

 彼女をめぐる中大兄皇子(後の天智天皇大海人皇子(後の天武天皇兄弟の恋のさや当てが、672年の壬申の乱を引き起こしたと、まことしやかに言われているそうです。

 

 

さて、この大津京駅のことですが・・・

 湖西線の建設当初は仮称が北大津駅だったそうです。しかし、大津市からは玄関口として「大津」の名称を採用する要望があったほか、「北大津」が地理的に旧・堅田町付近にあたることや「湖西線大津」の略称となることを鑑みて「西大津」を駅名に採用するよう国鉄に要望し、西大津駅として開業することとなりました。

 1999年(平成11年)11月2日大津京駅への改称を目指す運動が始まります。

 2000年(平成12年)2月7日、JR西日本に改称の要望書が提出され、同月に署名運動が開始されます。

 同年4月14日、集まった約3万人の署名が提出されます。

 しかし、駅名変更のためには多額の経費を地元が負担しなければならないことが課題となったため、同年中の駅名変更は実現しませんでした。


 2003年8月21日、大津市長に駅名変更の要望書を提出するなど、地元自治体への請願が行われます。
 2004年3月2日、当時の大津市長・目片信駅名変更に取り組むことを会見で表明し、JR西日本も前向きに検討することを表明して実現へ向けた動きが本格化することになりました。

 2005年9月15日目片市長が市議会で2006年秋琵琶湖環状線が開業するのに合わせて、「雄琴駅」おごと温泉駅」への改称とともに実施する方針を示しました。

 さらに、同年11月には経費を大津市が負担する方針も示されました。

ところが・・・

 大津京という語が歴史学的に不適切であるとの指摘が研究者などからなされるなど反対論もあり、2006年1月24日駅名変更を先送りすることになったのです。

 しかし、2007年2月19日大津市駅名変更費用を新年度予算に計上します。
 同年3月6日、市議会で「歴史書などで大津宮とされている?」などとして疑問を投げかける質疑が行われます。

 同年12月1日、開催された集会で学術的に疑問だとの意見が出て、大津市長あてに公開質問状が提出されます。

 これに対して大津市長は、2008年1月11日「見直しをしない」との回答を行います。

 そのため、同月30日、市民団体が改めて駅名変更の撤回を求める要望書を大津市に提出しますが、同年2月8日大津市長が改めて撤回を拒否

 しかし、同月10日、講演会で歴史研究者ら大津京」の存在を否定するなど反対論は根強く残り、大津市の監査委員への監査請求も行われましたが却下されました。

 以上のような経緯を経て、2008年3月15日大津京駅へと駅名が改称されたのです。

 

 

大津京という名称に疑問を呈しておられる専門家の方々が数多くおられるということなんですね。

 

どうしてなんでしょうね。えー

そんなことを考えながら、この町を散策していきたいと思います。

 

それじゃあ、またね。