はい! 奈央です。

 

崎津集落の次に私が向かったのは、大江教会です。

ほら! ご覧ください。

この白亜の天主堂を!びっくり

 

観光情報にはもっと素敵な景色があります。

もっと、もーっと!くまもっと。HPより

 

こんな素敵な天主堂だなんて。

潜伏キリシタンという名前にそぐわないような気がして・・・ (失礼ですよね。わたしって。チュー

 

この大江教会は、崎津集落からさらに西に行った、羊角湾の外、東シナ海に面した大江村にあります。

(現在の住所: 熊本県天草市天草町大江1782)

 

 

 大江教会は、キリスト教解禁後、天草で最も早く造られた教会です。

 現在の建物は昭和8(1933)年フランス人宣教師・ガルニエ神父が私財を投じ、地元信者と力を合わせて建立しました。

 

 

 フランス人・ガルニエ神父は、明治25年、32歳でこの地を訪れ、昭和16年82歳でなくなるまでの49年間布教に努め天草言葉を巧みに使いこなし、村人からはパアテルさんと呼ばれ慕われていました。

 

ガルニエ神父

長崎ブログーツ!HPよりお借りしました。


 明治40年、新進気鋭の5人の文人謝野寛(鉄幹)北原白秋木下杢太郎平野万里吉井勇が、若き時代に九州を旅した時の旅行記「五足の靴」の中で、天草パアテルさんガルニエ神父に会う事も主な目的の一つとしていました。

 神父は流暢な天草弁で、天草キリシタンの受難の歴史について親しげに語り聞かせました。5人は、神父の滅私の精神に深い感銘をうけるのです。

 この出会いは、北原白秋邪宗門を起稿する契機となりました。そして、他の4人もおのおのキリシタン文学を上梓し、その是非を世に問うことになるのです。


 大江教会の敷地内には、ガルニエ神父の像やルルドの聖母マリア像があり、今でも天草キリシタンのシンボル的な存在となっています。

 

 教会内部では、ステンドグラスや素朴で温かみのある天井、窓の装飾などを見ることができます。
 ただし、堂内は、写真、ビデオ撮影禁止です。プンプン

 

 

私は入口の扉の前に立ちましたが、キリスト教を信仰していないため、中に入らず、扉の前でお祈りを捧げました。

 

ふと後ろを振り返ると、一人の女性が待っておられました。

 

場をお譲りしましたが、女性も観光客の一人のようで、私と同じように中には入らず、通り過ぎていかれました。

 

潜伏キリシタンの歴史を知れば知るほど、興味本位で教会の中に足を踏み入れることが憚られます。

 

ガルニエ神父は、この教会を建てるため、そして、多くの孤児たちを助けるため、その私財を投げうって清貧に勤められたそうです。

 

神父の生き様については下のブログで知ることができます。

 

天草の聖人「ガルニエ神父」~無限の愛を、貧困の地に注いだパアテルさん|長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産 (tanoshi-nagasaki.jp)

 

青い海に浮かぶ島々が美しいこの天草の地で、400年も昔から続く潜伏キリシタン・隠れキリシタンの受難の歴史も、この白亜の大江教会を見ていると忘れそうになります。

 

今回、天草コレジヨ崎津集落、そして大江教会と訪れて、天草の青い空と海緑の島々がより深い色合いで脳裏に焼き付いたようです。

 

はい。今回はここまでです。

次は、思い出の地、白鶴浜へと向かいます。

 

それじゃあ、またね。