はい! 奈央です。
2023夏旅 2日目の朝です。
朝日が眩しいなあ
今、私は薩摩高城(さつまたき)駅という所に居ます。
”高城”と書いて”たき”と読むなんて珍しいですよね。
空が青くて、海が碧くて、とっても気持ちの良い朝です。
目の前にある二つの山、島ではなくて岬です。
湯田川の河口にある岬です。
その向こうは東シナ海です。
私のいる場所のすぐ下に肥薩おれんじ鉄道の薩摩高城駅があります。
ここは湯田町という温泉郷の入り口みたいですね。
それにしても、空が青い!
今日も暑くなるわ!!
さてさて、何の気なしに立ち寄った場所ですが、実はここ湯田口には、あの有名な菅原道真公の伝説が残っているんですよ。
菅原道真の薨去にまつわる伝説の地
太宰府天満宮HPよりお借りしました。
菅原道真の薨去にかかる通説
左遷された道真は、太宰府への移動はすべて自費によって支弁し、左遷後は俸給や従者も与えられず、政務にあたることも禁じられた。
大宰府浄妙院で謹慎していたが、左遷から2年後の延喜3年(903年)2月25日に大宰府で薨去し、安楽寺に葬られた。
高城・湯田に残る伝説
「川内地方を中心とせる郷土史と伝説」によれば、菅原道真の行跡について次のように記載されている。
大宰府に左遷されてからも尚、危険が身の上に及ぼうとしたので、菅原道真は船を筑前から出して水俣湾を通り、高城村の湯田港に到着して、船を港口の大石に繋ぎ上陸した。
現在の湯田口の大石ケ迫は、その上陸地点で、古来より菅原道真の船繋石と称する大石がある。
さらに、船繋石より上湯田方面に上って行けば、菅原道真の御腰掛石と称する石がある。
菅原道真は吉川を経て同市東郷町藤川にある菅原神社(藤川天神)で隠棲し死去したとされる。
歴史の真実はどちらなのでしょうか?
さて昨日は、御船 → 水俣 → 薩摩川内 と国道3号線に沿うようにしてずっと南下してきました。
そして今日は、北上の日です。
上の地図を見ても判るように、はっきり言えば、島巡り、隠れキリシタン巡りですね。
鹿児島県の長島、そして熊本県の天草(あまくさ)下島、天草上島、大矢野島と不知火海のまわりの島を巡っていきたいと思います。
過去にmarineは、天草には何度も行ったことがあるみたいなんですね。
学生の頃、天草下島の西岸、東シナ海に面する白鶴浜まで自転車で行ったこともあるなんて言ってたけど、本当かな?
そんなmarineも、白鶴浜より南には行ったことが無いというので、今回の旅は 牛深 周辺の隠れキリシタンの里を巡る予定です。
さてさて、そうこうしているうちに、お日様が高くなってきています。
今回は、長島~天草下島間はフェリーを利用する予定なので、フェリーの出向時間に間に合う必要があります。
急がなくっちゃ!
それでは、出発します。
それじゃあ、またね。