はい! 歴女の奈央です。
梅雨入り前の1日、下関へと出かけました。
下関にはこれまで何度も足を運びました。
下関には、古代~源平合戦期~安土桃山江戸初期~明治維新期~太平洋戦争期と歴史に刻まれる遺跡が多数分布しています。
とても、1、2回で見て回ることはできません。
ということで、今回の小旅も4か所を廻る旅となりました。
1か所目は前田砲台跡
幕末の下関での攘夷戦争において、長州藩が馬関(関門)海峡沿いに築造した砲台の一つです。
文久3年(1863)の攘夷決行に備えて造られた「低台場」と下関戦争前に増築された「高台場」の2つがありました。
元治元年(1864)、四国連合艦隊来襲時には砲台施設は焼き払われ大砲は接収されました。
そう! 下の有名な写真の場所なのです。
占拠された前田砲台低台場(ベアド撮影)
自転車旅っちゃ!ブログよりお借りしました。
2か所目は勝山御殿跡
1863年(文久3年)、攘夷を決行した長州藩は、馬関(関門)海峡においてフランス軍と交戦状態に入り、海岸に近い長府陣屋(櫛崎城)は危険だったため、これを放棄して内陸に新たに陣屋(勝山御殿)を築きました。
廃藩までの短い期間ではあったものの、長府藩の最後の居城でした。
勝山御殿跡
余湖君のホームページよりお借りしました。
3か所目は長門鋳銭所(ながとちゅうせんしょ)跡です。
大正10年の発掘など数回にわたる発掘が実施され、大量の鋳銭遺物が出土したことから、昭和4年、「長門鋳銭所跡」として覚苑寺境内地等が国の埋蔵文化財指定を受けました。
和同開珎が鋳造された場所は他に、近江・山城・河内・武蔵・平城京などが知られていますが、遺構が確実に埋存する遺跡としては、現在のところ本遺跡が唯一のものです。
和同開珎銅銭
黄檗宗法輪山覚苑寺HPよりお借りしました。
4か所目は豊浦宮跡(忌宮神社)です。
仲哀天皇と神功皇后は、仲哀天皇元年(192年)に熊襲の征討に訪れ、仲哀天皇2年(193年)に行宮豊浦宮を建てられました。
仲哀天皇8年(199年)、天照大神と住吉三神による託宣を疑ったため筑紫の香椎で亡くなった仲哀天皇を、神功皇后が三韓征伐からの帰途、豊浦宮の跡に祀ったのに始まると伝えられています。
天皇の歴史ナビHPよりお借りしました。
柚姫Blog ~DreamFlower~よりお借りしました。
久しぶりの歴女でーす。
まずは、前田砲台跡からレポートしますね。
それじゃあ、またね。