はい! 奈央です。
今、私が居る所は豊前国分寺跡です。
私の後ろに見える三重塔は明治29年に建立されたものです。
塔の高さは23.5m、九州に3箇所(福岡県みやま市 清水寺の三重塔、大分県臼杵市 三重塔)しかない塔の一つなんだそうです。
場所は福岡県京都(みやこ)郡みやこ町国分という所です。
豊前国分寺跡公園鳥観図
Farmers Plant Seeds HPよりお借りしました。
国分寺とは、奈良時代、聖武天皇の勅願により全国の国ごとに建てられた国立寺院です。
創建当時、九州東北部の文化の中心でした。
戦国時代末期、兵火で焼失しましたが、
江戸時代の元禄年間に復興しました。
豊前国分寺跡の説明板がありました。
史跡豊前国分寺
国分寺は奈良時代に聖武天皇の勅願(741年)により、全国の国毎に設置された国立寺院です。僧寺と尼寺の二院制がとられましたが、当時各地で病気が流行し、不作が続くなかで、仏の力にすがって平安な国家にしていきたいという願いがこめられていました。
豊前国では、豊津に国府がおかれていたことから、この錦原台地の東端に寺地が選定され、国府の役人であった国司が中心になって建立が進められました。記録からの推定では、完成までに約15年ほどの年月を費やしたことがうかがえます。ここは僧寺の跡ですが、尼寺はここから真東に200mほど離れた丘の上に建てられていました。僧寺の伽藍は南門・中門・塔・金堂・講堂・鐘楼・回廊などが南を正面にして、方二町(260m四方)の寺域の中に配置されました。尼寺はふつう塔が省略され、規模もやや縮小された形といいます。
国立寺院であるため、両院とも国家からは手厚い保護を受け、僧尼の生活や寺の維持には田や封戸が与えられました。そして当時の先端技術の粋を結集して造営された国分寺は、建物の先進性はもとより仏教の教義を説き広める意味から、その地方の文化の中心的な役割も果たしました。
しかしこの国分寺も、奈良時代後半ごろからの律令政治の崩潰や新興の天台・真言密教におされて存在意義もうすめられ、早くも衰退の一途をたどり始めました。このような情勢にあっても豊前国分寺はどうにかその命脈を保ち続けていたらしく、天正年間(1573年~1591年)に大友宗麟の兵火にあって、すべての伽藍が焼失したと伝えられています。
江戸時代になって僧の英賢・円慶によって復興が始まり、さらに尊応・応忍・等汰に引き継がれて、元禄年間(1688年~1703年)には塔を除く主要な建物がほぼ完成したと伝えます。
明治時代に宮本孝梁師は塔の建立を発願され、多くの人々の寄進を得て、明治28年(1895年)に三重塔の完成をみました。塔は層塔と多宝塔を折衷した様式をもち、昭和32年には県の文化財の指定をうけました。その後老朽化の進んだ塔は、昭和60年から2年にわたる解体修理で再び明治の建立当時の姿によみがえりました。
寺域は昭和51年に国の史跡に指定されましたが、豊津町が史跡公園として整備する際の発掘調査では、創建当時の講堂跡をはじめ軒丸瓦・㙛・陶磁器片などが出土しています。
平成3年5月 豊津町
*㙛:ふ、ほ、せん
仏像などを粘土で型を抜き焼成したもの
講堂跡にも説明板がありました。
史跡豊前国分寺跡
豊前国分寺は、聖武天皇が741年に発布した「国分寺建立の詔」により創建された国立の寺院です。寺域内の主要堂宇は756年頃には完成したと考えられています。その後、天正年間初期(1573~79)に戦国大名大友氏と大内氏の戦乱にまきこまれ建物は消失しましたが、江戸時代に入って小笠原藩により復興しました。
昭和60年(1985)から平成6年度(1994)にかけて、史跡指定地北半を中心に発掘調査と環境整備工事が実施されました。発掘調査では創建時の七堂伽藍の内、講堂の基壇跡が確認されました。この基壇跡は東西の長さ26.7mにわたって地山と削りだし、そのふちに㙛を積み上げた基壇で、北辺の中央部には階段がつけられていました。また、この基壇跡の北側約12mには建築資材を処分した長さ9m、幅4mの大型土壙が発見され、内部から礎石や瓦・㙛などが出土しました。このほか、室町時代と江戸時代に寺域を区画していた二条の大溝や、中世の掘立柱建物跡などが発見されました。遺物としては、宋銭や青磁・白磁などの輸入陶磁器のほかに、朝鮮半島の百済系・高句麗系や大宰府系・法隆寺系などの軒瓦、鬼瓦などが出土しています。
史跡公園としての整備工事は、確認された講堂の基壇跡を復元するとともに、休憩所やベンチ・照明灯などを設置しています。また、園路以外の部分には芝を張り、町の木である梅を中心に植栽するとともに、周縁部に板塀や掩護壁を設けています。
豊前国分寺跡配置図 *ピンクの植栽は梅の木です。
白梅越しに見る講堂基壇跡
講堂跡を示す石碑
講堂の裏手の広い公園は、梅園として整備されていました。
ピンクの梅の花
紅梅
こちらもピンクの梅の花
梅の香が公園に漂い、待ちきれぬ浅き春の宴に酔いしれることができました。
さあ、伽藍の表舞台に行ってみましょう。
それは明日のブログでね。
それじゃあ、またね。