はーい! ナオでーす。

 

 

ロゼッタ・ストーン って知ってますか?

なんニャ?

古代エジプトで使われた3種のエジプト文字のうちの1つであるヒエログリフの解読のきっかけになった石板なのよ。

 

ヒエログリフ WIRED.jp HPよりお借りしました。

象形文字の“Google翻訳”が可能に! グーグルがヒエログリフの解読補助ツールをつくった理由 | WIRED.jp

 

残念ながら、今はロンドンの大英博物館に所蔵されてるの。

 

ロゼッタ・ストーン KUBOGEN HPよりお借りしました。

 

 ロゼッタストーンというのは、古代エジプト研究が進歩するきっかけとなった紀元前2世紀の石碑なの。

 高さ114cm、幅73cm、厚さ28cmの巨大な岩で、重さは762kgもあるの。

 しかし、これは石碑の一部であって、破損前の高さは150〜160cmだったと推測されているの。

 

ロゼッタ・ストーン

未草 ひつじ書房ウェブマガジンHPよりお借りしました。

 

 表側はきれいに磨かれていて、三種類の文字、神聖文字ヒエログリフ、民衆文字デモティック、そしてギリシア文字が刻まれています。

 ロゼッタストーンは、神聖文字(聖刻文字、ヒエログリフ)解読の鍵となった石碑であり、これによって、古代エジプトの歴史研究が大きく進んだのよ。

 

この石碑がどうして数学者のフーリエと関係あるの?

 

 ロゼッタストーンは、1799年、エジプトの都市ロゼッタ近郊の川で発見されました。

 発見したのはナポレオン率いるフランス軍だったのです。

 

 エジプト港湾都市ロゼッタに着いたフランス遠征軍は、守りを固めるために要塞を建設を始めたのです。

 その作業中、ピエール・フランソワ・ブシャール大尉は、黒い大きな岩に文字が刻まれているのを発見しました。

 この石はとても重要なものなのではないかと思ったブシャール大尉は、たまたまロゼッタにきていたメヌー将軍に報告します。

 そして、ロゼッタストーンは、調査のためにフランスの研究所があるカイロへと運ばれ、検分が行われました。

 

 ナポレオンは、エジプトで軍事活動を行うために遠征してきていたのだけど、この遠征軍には、167人の技師からなる学者集団も一緒にきていたのです。

 フーリエは、その学者集団の一人で、エジプトではカイロ大学幹事エジプト学士院書記となり、さまざまな数学的・考古学的研究を行い、後に発表された『エジプト誌 (Description de l'Egypte) 』(1808年-1825年)も監修したのです。

 

 フーリエはフランスに帰る際、ロゼッタ・ストーンを持ち帰り研究対象とします。そして、ヒエログリフの解読に取り組みますが、数学者フーリエには、その解読はできませんでした。

 

ヒエログリフ WIRED.jp HPよりお借りしました。

 

 ある日、フーリエロゼッタ・ストーンを当時11歳の少年に見せます。

 少年の名前は、ジャン=フランソワ・シャンポリオン

後にヒエログリフを解読し、古代エジプト学の父と呼ばれます。

 

シャンポリオン

 フランス革命のさなか、小さな田舎町の本屋の子として生まれました。

 黄色い角膜、茶色の肌、目鼻立ちが東洋風な赤ん坊だったそうで、大人になってもエジプト人と呼ばれたそうです。

 11歳でグルノーブルに出て勉強を始めるとラテン語、ギリシア語、ヘブライ語などを修得、語学に異常な才能を示しました。

 ちょうどその頃、フーリエ県知事としてグルノーブルにいました。

 フーリエは、少年シャンポリオンに興味をもち、自宅に呼んでヒエログリフの碑文をみせます。

 そして、誰も読んだことがない!と告げると、熱心に見入っていた少年は「私が読みます!2,3年たって、僕が大人になったときに!」と言い放ったそうです。

 

シャンポリオン 世界史の窓HPよりお借りしました。

 

ヒエログリフが表音文字であることを解明

 それまでのロゼッタ・ストーン解読の試みの多くが、ヒエログリフは表意文字と思い込み、文字の形に意味を解釈しようとしたために失敗していたのです。

 初めて表音文字ではないかと考えたのはイギリス人のトーマス ヤングでした。しかし彼は、個々の文字の音価の特定が誤っていました。

 

 シャンポリオンの成功のカギは、ヒエログリフの字形には意味は無く、を表していると気づいた点でした。

 厳密には、ほとんどが表音文字として書かれ、一部に象徴的な表意文字や、文の区切りの役目をする文字として用いられていました。

 

 シャンポリオンは、ロゼッタ ストーンヒエログリフデモティック(民用文字、民衆文字)古代ギリシア文字の三種類の文字を比較検討し、さらに新たにナイル川上流のフィレー島で発見された石碑(オベリスク)を材料として、1822年、ついにヒエログリフの解読に成功したのです。

 

ヒエログリフ シャンポリオン解読図

やっぴらんどHPよりお借りしました。


 シャンポリオンの前に、ヒエログリフが表音文字であることに気がついていた学者もいました。

 ただし、それが何語のなんという意味を理解できる者はいなかったのです。

 

 しかし、シャンポリオンは、古代エジプト語をわずかに伝えているコプト語(ナイル上流に残る古代キリスト教であるコプト教会で使われている)や周辺の言語に通じていたので、ヒエログリフで書かれた文章の意味を理解することができたのです。

 

どうでした?

このようにして、古代エジプトの歴史や文化が現代の人々に広く知られるようになったのです。

 

そうだったのね。

フーリエさんはちゃんと橋渡しの役をしたのね。

でも、本当は自分で解読したかったはずニャ。残念ニャ。

今度から、ピラミッドやスフィンクスなんかを見る時は、フーリエさんのこともちょっと思い出しそう!

 

それじゃあ、またね。