はい! 奈央です。
鉄器が発見された山の神遺跡にやってきましたよ。
場所は、山口県下関市豊浦町吉永という所です。
拡大すると、海岸近くの山の麓です。
すぐ近くに、有名な弥生時代前期~中期の遺跡である 中の浜遺跡 があるみたいです。
山の神遺跡は、太陽光発電所の近くっていうか、まさしくそこですね。
でも、アプローチは車で行けるのかな?
はい、ここが入口に立っていた 庚申塔(こうしんとう) です。
こんなでっかくて変な形の庚申塔は初めて見ました。
ここから、道は一気に細くなって、車一台がやっと通れる幅の道でした。
舗装もされていないので、明らかに農道ですね。
やっと広い場所に出ました。
上の地図の Point 1 の所です。
太陽光発電所の横の道は比較的広く、先まで行ってみました。
しかし、発電所を過ぎると、一気に狭くなって、林の中の暗い下り道になっていました。
ちょうどそのあたりが、山の神遺跡の発掘現場かもしれませんが、情報では集落跡ということになっているので、おそらくこの太陽光発電所付近一帯が集落跡地なのではないでしょうか。
車から降りて、太陽光発電所を見に行きました。
繰り返しになりますが、上記の地図の Point 1 のところです。
太陽光発電所としては、そんなに大きくはないのですが、弥生時代の集落跡地としては、十分に広い土地ですね。
この遺跡の発見にまつわる詳細は見つけることができませんでしたが、おそらくここの土地利用の際に見つかったのでしょうね。
Point 2 の方に移動しました。
ただただ太陽光発電所があるだけで、ここが山の神遺跡であることを伝えるような立て札なども一切見つけることができませんでした。
まあ、いいわ。
前田山遺跡の時も、下大隈遺跡の時も何もなかったからね。
それより、私、ここでちょっと不思議なものを発見しちゃったんですよね。
実は、この道路の山側をみると、こんな具合に、野面積みのような石垣が続いているんです。
しかも、この石、とてつもなく大きいものばかりで、岩垣といった方が的を得ているかも。
ほら、こんな具合に続いているんですよ。
なんでしょうね。
城跡にしては、いい加減な積み方で、すぐ登れそうだし。
実は、このすぐ近くに、長門の元寇防塁跡というのがあります。
少し離れたところには、長門鵜山の元寇防塁跡もあります。
ここの石垣も元寇に備えて防備した跡かな?
なんて、想像たくましくしたりしてね。
長門の元寇防塁跡 いかなる人も踏み迷うHPよりお借りしました。
長門鵜山の元寇防塁跡 城郭放浪記HPよりお借りしました。
ということで、今回、山の神遺跡の現場リポートは終了です。
残念ながら、遺跡の発掘場所を示す立て札なんかは見つけられなかったけど、現場に来たということが大事なんですよね。
満足でーす。
でも、何とか発掘された鉄器をこの目で見てみたいなと思い、下関市の考古博物館に行ってみることにしました。
そこは、あの因縁の綾羅木郷遺跡の場所にあるんですよね。
これは絶対行かなくっちゃね。
それじゃあ、またね。