はい! 奈央です。
今ね、下大隈遺跡っていうところに来ています。
下大隈遺跡っていうのは、弥生時代後期 (中頃~後半)の北部九州土器編年で、下大隈式土器として基準になっている土器が発掘された場所なんです。
土器の編年 柳田康雄 案 (北部九州)
geolog.mydns.jp サイトよりお借りしました。
この下大隈式土器って、基準になっているのに、ほとんどネット上に出てこないんですよね。
やっと見つけた文献が、下の図です。
番号で、33,34,35番の土器です。
弥生時代の土器の変遷
MIYAKO TOWN DIGITAL MUSEUM HPよりお借りしました。
後期の土器(前半:高三潴式、中頃~後半:下大隈式、終末:西新式)の特徴とは以下のようです。
・近畿・東瀬戸内の櫛目文土器や高坏の影響が及ぶ。
く字形断面の目縁部をもつ甕・壺
・土器の規格化がすすむ
・全体に丸底化する
下大隈遺跡を探索するぞー!
以前のブログで、下大隈遺跡が見つからなくて、それで、遺跡捜索にとんでもなく強い見方を見つけちゃった という記事を書きました。
そう!
奈良文化財研究所が運営する文化財総覧WebGISです。
これを使って、下大隈遺跡を見つけることができました。
場所が判明したら行ってみなくっちゃね。
ということで、下大隈遺跡にやってきました。
周りを見渡しても、なーんにもありません。
石碑も看板もなーんにも。
堤防の向こうに見えるこんもりとした森は、以前ブログで紹介した十五社神社です。
日本武尊が琴を奏でられた場所ですね。
反対側もなんにもありませーん!
悲しいかな、これが多くの弥生遺跡の現実なのです。
佇んでいたら、釣りのお兄さんが突然草むらの中から出てきてびっくりしちゃいました。
あのお兄さん。 何か釣れたのかな?
カメラをセットして、ダッシュする私!
何故って?
実は風が強くって、カメラが倒れる危険があって、素早く映しちゃおうと焦っているのです。
大丈夫かな? 不安そうな私。
まあ、大丈夫でしょ。
とその時、強い突風が!!!
大変だあ。
カメラが川に落ちそうー。
何とか間に合って、撮影再開。
それじゃ、これで、下大隈遺跡の現場にやってきましたーということで。
ねっ!
(marine: ねっ! じゃ、ないだろ!
下大隈式土器の写真も何にも無しなの?)
うーん。
分かったわ。
九州歴史資料館は展示室が休室状態だし、近くの歴史資料館を捜索してみるわ。
(marine: 頑張ってね。)
なんだか、焚きつけられちゃったみたい。
まっ、いっか。
それじゃあ、次のブログでね。