はい! 奈央です。
皆さん、犬鳴峠・犬鳴トンネル・犬鳴ダムってご存知ですか?
YouTube で検索すると、日本最恐の心霊スポットだの怪奇スポットだのとひどい書かれようのところです。
でも、実はこの犬鳴峠も、犬鳴ダムも、新犬鳴トンネルも、トヨタのレクサス の6割を製造するトヨタ九州宮田工場のある宮若市と福岡市を結ぶ幹線道路沿いにあるんですよね。
だから、結構、車の通りが多いところなんです。
私が昨年廻った遠賀川下流域のヤマトタケルの伝承シリーズも実は、遠賀川の支流である犬鳴川沿いにある神社が多かったんです。
今回、私は宮若市にある国内でも屈指の彩色壁画をもつ装飾古墳として国史跡に指定されている竹原古墳を見て、福岡市の板付古墳に向かう予定でした。
何の気なしに鼻歌を歌いながら運転していると、竹原古墳を通り越して、ダムが見えてきたので、ちょっと一休みと思って駐車したところ、そこが犬鳴ダムだったんですね。
かわいいワンちゃんが二匹で狛犬さんのようにして、私を出迎えてくれました。
そうなんです!
ここは犬鳴ダムだったのです。
だからワンちゃんか?
だあれ、恐怖の心霊スポットなんていっているのは?
「犬鳴」の由来
昔々、ある猟師が、犬と一緒に山に猟に入ると、犬がわんわんと吠えるので、猟師は鳴声がうるさいと犬を撃ち殺してしまいました。ふと顔を上げると、そこには1丈5、6尺(約5メートル)もある大蛇がいたのです。
犬は猟師に危険を知らせてくれていたのです。
後悔した猟師は、鉄砲を捨てお坊さんとなり、山に犬の塔を立てて供養したということです。
そして、反対側を見ると、そこはダム湖でした。
天気も良くて、とても爽やかな景色でした。
この犬鳴ダムのダム湖の湖底には、旧犬鳴村が沈んでいるそうです。でもね、他のダム湖と同じように、ちゃんと移住されていったんだそうですよ。
そして、このダム湖は、司書の湖(ししょのうみ)と名付けられています。
江戸時代後期、筑前福岡藩の家老職だった加藤司書の功績をたたえて、「司書の湖」と呼ばれるんだそうです。
加藤司書は、中国地方の製鉄技術を学び、犬鳴字金山に鉄山を開いた人です。
加藤司書はまた、福岡藩勤王攘夷派の中心的存在であり、「福岡は海岸故、攘夷の時なり防長御征伐については、英夷加担致すべき間、海岸の城は不都合とて、右様犬鳴山之別館取立」とし、元治元年七月から着工、翌慶応元年(1865年)に犬鳴山御別館が竣工したのです。
しかし、当時福岡藩においては勤王攘夷派と佐幕派が鋭く対立しておりました。
犬鳴山御別館竣工後、勤王攘夷派は、九州勤王攘夷派の総決起をはかり、もしこれを藩主の黒田長溥が賛成しなかった場合は、長溥を犬鳴山御別館に移して子の長知を奉載する計画でありました。
しかし、この犬鳴山御別館事件が発覚し、乙丑の獄が起こったのです。慶応元年六月二十日、加藤司書たち勤王攘夷派は全員逮捕されて厳しい処分が断行されたのです。
なんだか、悲しいお話ですね。
でも、とっても景色が良いところで、春の桜や秋の紅葉シーズンは山全体が色づき湖面にその姿を映すんでしょうね。
ちょっとダムのところに行ってみましょう。
ダムの向こう側まで行きたかったんですけど、遠いので止めました。
この日は日曜日だったので、子供を連れた家族連れが何組もやってきていました。
子供たちの元気な声がこだまして楽しそうでしたよ。
国内屈指の恐怖心霊スポットだなんて、誰が広めたんでしょうね。
さあ、これから、新犬鳴トンネルを通って、福岡の遺跡に行きましょう。
それじゃあ、またね。
PS: 旧道で旧犬鳴トンネルは行けませんでした。
だって怖いモーン。