はい! 奈央です。
日本最古の水稲耕作地である菜畑(なばたけ)遺跡にやってきました。
菜畑遺跡は、佐賀県唐津市の唐津湾を望む高台にあります。
菜畑遺跡は、1979年(昭和54年)に発見され、1980年から1981年にかけて発掘調査が実施されました。そして、1983年(昭和58年)に国の史跡に指定されました。
縄文と古代文明を探求しよう!HPよりお借りしました。
さてさて、菜畑遺跡って具体的にどんな遺跡なんでしょうか?
佐賀県唐津市菜畑にある標高10m前後の緩やかな丘陵の先端部に立地する日本最古とみられる稲作遺跡をともなう集落跡です。
遺構は16層からなり、縄文時代晩期後半の12層からそれより上層の弥生時代中期までの層に水田遺構が確認されました。
水田遺構は18m2余りの小さな田で、当時は直播きで栽培されたと推測されています。
木製の鍬(くわ)、石包丁、石斧(せきふ)をはじめ土器など豊富な遺物が出土しました。
遺物の土器は、これまで最古とされていた夜臼式土器よりも少し古い山ノ寺式土器が出土しました。
炭化米も250粒ほど出土し、そのうち100粒以上がジャポニカ種であることが判明しました。
弥生時代前期の地層から、大規模な水田が営まれていたことを裏付ける水路、堰、排水口、木の杭や矢板を用いた畦の仕切りなども発掘されました。
菜畑遣跡の水路と井堰 台地への刻印HPよりお借りしました。
これは縄文時代後期(弥生時代早期)に日本で初めて水田耕作による稲作農業 が行われていたことを実証するものと考えられ、1983年(昭和58)に国の史跡に指定されたのです。
菜畑遺跡 水田跡 唐津市HPよりお借りしました。
菜畑遺跡って、縄文時代から弥生時代へと移り替わる接点に位置する重要な遺跡だったんですね。
さて、そろぞろ菜畑遺跡を見に行きましょう。
まずは、資料館である 末盧館 に行きましょう!
ここ唐津は、魏志倭人伝に出てくる末盧国に否定されているところです。
古代史(日本人のルーツを訪ねて)HPよりお借りしました。
そのため、末盧国に因んだ末盧館という資料館が建てられています。
さあ、車でやってきました。
信号の向こうが菜畑遺跡・末盧館です。
ほらね!
日本稲作発祥の地 ですって!
そして、この建物が末盧館です。
ここには、この遺跡から出土した炭化米や石包丁、鍬、鎌などの農業用具ほか発掘に関連した資料が展示されています。
また、竪穴住居や水田跡も復元されています。
それじゃあ、行ってきまーす。
菜畑遺跡 続きます。
またねー!