はい! 奈央です。
弥生時代は、イネと鉄の時代 です。
そして、北部九州は最初に大陸からの文物が入ってくる地域なので、イネにしろ鉄にしろ、早期に入ってきています。
そのため、北部九州には、多くの弥生時代の遺跡があります。
北部九州の弥生時代の主要遺跡 *右中央下に板付
国土交通省九州地方整備局HPよりお借りしました。
そんな多くの弥生時代の遺跡の中でも、板付遺跡は、特に有名な遺跡なんです。
どうしてかって?
それまで縄文晩期と位置付けられていた時代を、弥生早期という時代に組み込んじゃったからです。
これによって、弥生時代が数百年も早く始まったことになっちゃったんです。
板付遺跡 福岡県の文化財HPよりお借りしました。
経緯をみてみましょうか
1950年(昭和25年)1月、博多駅の次、竹下駅前で仕立て屋を営んでいた在野の考古学研究者である中原志外顕(しげあき)氏が、ゴボウ畑を調査中に、当時縄文土器とされていた晩期の夜臼式土器(刻目突帯文土器)と弥生土器とされていた前期の板付式土器(板付Ⅰ式土器)を同時に採集し、最古の弥生時代の遺跡である可能性が浮上したのです。
板付遺跡を発見した 中原志外顕氏
お気楽奥様の忘備録HPよりお借りしました。
日本考古学協会の共同研究「日本農耕文化の生成」の一環として、中原志外顕、九州大学の岡崎敬、明治大学の杉原荘介らを中心とした発掘調査が4年間にわたって行われたのです。
その結果、断面V字形の環濠や貯蔵穴、竪穴住居などが発掘され、日本最古の環濠集落 であることが確実となったのです。
そして、炭化米や籾圧痕の付いた土器などが出土したことで稲作農耕の存在が確認されたのです。
板付遺跡図解