小学校低学年の頃、住んでいた田無は、

まだまだ畑も多く、自然もたっぷりでした。

 

カブトムシやクワガタ、アメリカザリガニ、

蝉の声、天の川・・・・、

それが、高学年になった頃には

自然がどんどん消えてしまいました。


高校受験が迫ってきたころ、

私は、石神井高校へ行きたかったので、

アンコとギセンを都立の学校群の34群に誘いました。

 

二人とも、内申書が良かったので、

ギリギリの私とは違い、ほぼ受かる状態でした。

結果は、アンコが大泉、ギセンが井草、

私が念願の石神井でした。

 

ギセンは、本命が国立高専だったので、

そちらへ行きました。


その、34群へ誘った時、

 

ギセンと行った信州

 

アンコからなんで高校へ行くのかと聞かれました。

 

石神井へ行きたいというのは想いとしてありましたが、

その後の具体的なことは考えていませんでした。

アンコは中学時代の黒パンという体育教師の影響で、

体育の教師に成ることを決めていました。


アンコと行った九州

 

 

高校2年になった頃、

 

 

 

何か目標を持たないと、勉強嫌いなので、

大学へ行く勉強なんて考えられなかった。

 

その頃、四大公害裁判が行われていて、

小学校時代の自然が消えていくことが繋がり、

公害を無くす仕事をしようと決めました。


その、先駆けに

国家試験の公害防止管理者の大気一種と水質一種を受け、

何とか大気は受かりました。

 

大学をそういう方面に決め、

農工大の環境保護学科にしようと思いましたが、

農学部は試験に社会があり、

それでなくても可能性の低い状態でしたので、

親友の成の助言で工学部の化学工学科に変えました。

 

結局、2年で終わらして、

北海道で、自然を守る生活をすることにしました。